ようこそ!

「双子・KO君とTO君(自閉症)の子育て記録」
へようこそ。

03_2

このページは、メニューページになっています。写真は我が家の中庭に植えたイロハモミジ…新緑の頃と紅葉の様子です。

blog には、サイドメニューがあって、バックナンバーやカテゴリー別、人気記事ランキング等がありますが、自分なりに気に入っている記事、自分で読み返したい記事、是非読んで欲しい記事ってのもあります。
そこで、いくつかピックアップしてみることにしました。まだ上手くまとめられていませんが、これから少しずつ修正していきたいと思っています。

注) 私と面識のある方、この blog は時々、毒吐いてますので、個別でご紹介した以外、他の方にアドレス等を教えるのはご遠慮くださいね。私は本音や愚痴を、自分の日記として書いているだけですが、皆が共感してくれるわけではないでしょうし、不愉快な気持ちになる方もいるかもしれませんので、どうかお願いします。m(_ _)m

****************************************************

保育所のお別れ会
 …私達夫婦の間で、この日の出来事を“原点”と呼んでいます。

障害受容
 …(2)(3)(4)とシリーズ化? “受容=全てを受け入れる”って全てを受け入れることなんてできるか! TO君に障害があって良かったなんて思えるはずは絶対にありません。

最低目標と最高目標
 …私達夫婦のうち、どちらか最後に死ぬ方が責任もってみとどけたいと思います。この目標が達成出来なった時は、私達の子育てが間違っていた・・・という覚悟で子育てしてます。

サヴァン
 …自閉症を持つ人には、みんな何か特別な能力がある?・・・なんてことはありません。TO君に、そんな特別な能力はなくていいから、普通に社会で生きていける“力”を付けさせてあげたい。

きょうだい児
 …KO君へのフォロー、気を遣います。でも気を遣わなければならないのです。大切です。

「輪の中」に入れたら…そして医師の役割
 …保護者、支援者、各関係機関、お互いに勉強して高め合いましょうよ!

受診
  …自己の「特性理解」は大切ですね。自分の「強さ」と「弱さ」(得手・不得手)を充分認識した上で、時に必要があれば、専門医の助けを借り、薬と上手に付 き合いながら、自己を管理=コントロールしていくことは必要なのだと思います。いずれTO君にも必要な時が来ると思います。…受診(2)

「愛情」ということばで片付けないで
  …障害を持つ子供を育てるために必要なものは、「愛情」より、その時その時必要な支援をしていくための知識と技術を身につける努力を惜しまないことだと、私は思います。子供に「愛情」のない親なんていません。

告知・カミングアウト…とりあえず今思うこと
  …「告知」も「カミングアウト」も、仕方ないから・どうしようもないからするものではなく、前に進むためにしたい…、今のところは、そう考えています。

****************************************************

| | コメント (0)

GUNDAM pomera

「祖母の死」に関する三部作…「トイレの神様」「直葬」「変わり者 vs.非常識者」、このダークな内容の記事で、また、この blog がしばらく放置状態になるのは忍びないので、毒気のない、どうでもいい記事を書いて休止しておきたい。

以前、GUNDAM pomera が KING JIM というメーカーから発売されたことは書いた(KING JIMというメーカー、他の商品も欲しいものがある。アイデア商品がいっぱいある)。その時は、既に初代機を持っているから諦めるしかない…と思っていた。

…が、ネット会員になっている某サイトで特価価格で購入できることになってしまった。いや~悩んだ。
「買うかどうかを?」
…じゃなくて、「3つのモデルのうちどれにするかを…」だ(この値段なら買うのは当然!)。

(詳しくは、KING JIM のHPをどうぞ)
ジオン軍のエースパイロットと言えば、「赤い彗星」の異名をもつシャア、そのシャアが搭乗したモビルスーツをモチーフにした赤を基調にしたモデル。

軍人として、男として、また、上官として部下に慕われるランバ・ラルとその愛機、グフ(ザクとは違うのだよ。ザクとは!)をモチーフにし青を基調にしたモデル。

どちらも捨て難い。しかし、難点があるとしたら、どちらも派手過ぎる。自宅や職場の研究室でこっそりと使うくらいなら問題ないが、出張先の空港ロビー、電車内で開くにはちと躊躇いがある。キーボードまで赤 or 青なのだ。

その点、ジオン軍の量産型モビルスーツであるザクⅡをモチーフにした、緑を基調にしたモデルは落ち着いていい。ちょっとおとなしい感じはするが、「ジオンと言えば、ザクでしょ!」…ということで、結局、これに決めた。ちょっと安全パイな感じなんだけど…。

Dsc02332
外箱…これだけでもかなりそそられる。

Dsc02324
天板…ジオンマークのデザインがカッチョいい。何気にモノアイも。しかもソフトケース付き。

Dsc02330
キーボード…「enter」キーにジオンのマークがナイス。

あと、どのモデルもだが、
起動時には、「機動戦士ガンダム」と「テレビタイトル」がランダムに出る。
終了時にも、「懐かしのシーン」と「モビルスーツ」等のスペックが表示される。
Dsc02327

Dsc02328

ちょっと笑うのが、
ギレン・ザビの名台詞をパクった注意書き…
「あえて言おう! メモであると!」
Dsc02325

確かに、この pomera は、メモしかとれない単機能デジタルグッズである。それがいい人にはいいし、物足りない人には全く相手にされない商品になるのだろう。

初代機はどうしたか?
結局、妻に高価買い取りしてもらうことにした。
まだ、使い方を教えないといけないんだけど、使い方もなにも、電源入れたらメモしか入力できない単純機器。妻も blog の下書きをするにはちょうど良いと思う。

| | コメント (0)

変わり者 vs. 非常識者

祖母は生前、三男叔父のことを人に紹介する時いつも、「変わり者です。」と言っていたらしい。

確かに、私も、叔父の発言や行動、意見は、「変わってるなぁ」という印象を持ったことが幾度もある。

しかし、叔父のそれは、他の人と単に違った考え方や意見を持っているだけで、常識がないということではないのだ。

「常識とは何ぞや?」…という問いに、ちゃんと答えられるわけではないが、こういう人間の方が、「常識がない人間」ではないだろうか。

通夜?の日の夕刻…、
「ここ(葬祭場)にいたのか?」と、さも自分に連絡がなかったことを不満そうに、そして、更に、
「○○○(私の弟の名前)には、連絡したのか!」とこれまた責めるかのような言い方で叔父の前に現れたのは、私の母である(“母”とも書きたくないが、別の表現をするとややこしいので仕方がない)。これだけでも充分に常識がない。お悔やみの言葉を言うのが先だろう。

母はこれまで幾多も暴言を吐いている。
言い始めたらキリがないが、少々あげつらうと、

祖母が老人ホームに入ることが決まった時、その手配をしてくれたKI姉、KU姉に向かって、
「あんな老人ホームに入れて可哀想だ。私が引き取る。だけど、自分は旅行に行くことが多いから、その間はあなた達(KI姉、KU姉)が見なさい!」
そもそも、祖母が「自宅であったはずの家」から出て行かざるを得ない状況を作って、祖母を家から追い出したのは母である。何を今更必要以上に関わろうとするのか?
それとも、これまでの感謝と償いのために、いろいろと自分の人生が清算された今なら、祖母の最期を自分が完全に犠牲になって面倒みたい、看取りたいと言うのなら見上げた話ではあるが、“都合良く”看取ったという事実を作り、善人ぶりたいだけなのだ。

老人ホームの職員にもいろいろ注文をつけた。医療従事者だった経験を活かして(悪用して)、難癖をつけるのだ。祖母が望んだわけではない。祖母は我慢強い人で、人の迷惑になるのが一番嫌いな性格だった。私は人にはそれぞれの生き方や性分があると思っている。そして、実際にホームの職員にお世話になりながら生きているのは祖母なのだ。祖母が職員から嫌な扱いを受けないよう(そんな職員は誰もいないが…)、周囲の関係者は職員に気分よく祖母の世話をしてもらえるよう配慮すべきだと思っていた。もし不当な扱いを受けているとしたら別だが、ここのホームの職員はとてもよくやっていると思う。実際、祖母から職員への愚痴は一度も聞いたことがないし、祖母は「よくしてくれる。」としか言ったことはない。

確かに母は、このホームにいる祖母を何度か見舞っていた。そのたびに祖母は、「ありがたい、ありがたい。」と母に感謝の言葉を言ったらしいが、こんな(ホームの人には失礼な言い方だが)ホームで一人で暮らしているのである。誰が訪ねて来ても有り難く、うれしいはずである。
それを、この通夜?の晩、親戚一同の前で、さも自慢げに「祖母に感謝されていた」と話し始めたそうである。自分が追い出しておいて、よくそんなことが言えたものだ!

そして親戚に、叔父のことを、「私はこの人のペースに着いていけないんですよ。」…どういう意味???
叔父も面食らったらしいが、「誰も着いてきて欲しいとは言ってない。」と切り返した。そうしたら、「そうだけど…」と口ごもったそうだ。旦那でもない人に何を失礼なことを言っているのだろう。
後で叔父から話を聞いて、「私もあなたのペースに着いていけません。」と言ってやれば良かったですね。…と笑って話した。

ただ失礼な発言・行動はそれだけではなかった。あろうことか、喪主である叔父を差し置いて、さも自分が看取ったかのごとく、祖母の棺の側で親戚を案内し始めたそうなのだ。呆れて物が言えない。
更に何を言い出すかと思えば、祖母の実の息子である叔父に何の相談もなく、親戚達に「お骨は自分が預かる」と言うのだ。これには叔父もさぞ腹が立っただろう。

ただこれに騙される親戚もいるから手に負えない。×子さんは良い人だ。別れた亭主の母親の看病をした上に、看取ったのだと、お通夜?にまでこうして来てくれて…お骨まで預かってくれる。
叔父の言葉を借りれば、「ホラーの世界だ!」である。

冷静に考えたらおかしいだろう。常識ある親戚達は、「あの人は誰だ?」「何でいるんだ?」と、疑問を抱いたそうである。当たり前だ。

百歩譲って、別れた亭主の母親だけど、いろいろと恩義があったから、臨終に際して線香の一本でもあげさせてもらいたい…と言って、通夜?の席に来て、丁重に喪主や親戚の方々に挨拶をして失礼する…なら話はわかる。おそらく、これが「常識ある人間」のすることだと思う。
それを喪主を差し置いて、でかい面をして長々と通夜?の席に居座り、自分が主役のごとく、今ではただの赤の他人である元親戚達と話をしているのである。その姿が滑稽だと、なぜ気付かないのか?

私は、前記事にも書いたとおり、休憩のため一時帰宅していて難を逃れた。もし私がいたら追い出していただろう。叔父から電話があった時も、何度、直接ケータイで怒鳴ろうかと思ったが何とか踏みとどまった。「望まれない行動に対しては、“無視する”ことが基本」である。

翌日、叔父はもう来ないだろうと言っていたが、私はきっと来ると確信していた。案の定、神妙そうな顔をしてやってきた。それも親戚の一人を車に乗せ、自分も火葬場まで行く気満々なのである。
出棺するまでの間にも、大きな面をして元親戚と話し込む。私の話もしたらしく、「現在喧嘩中であること、更に自分はTO君のことを心配している。息子(私)は厳しいところがあるから、TO君をどのように教育しているのか心配なのだ。」と言い触らしていたそうなのだ。自分が理解がなかったことへの反省の弁はない(期待はしてないが)。絶句である。

私は無視を決め込んで葬祭場の外に出ていた。叔父は「最悪の展開だ!」と言っていたが、すぐに機転を利かせ、母が連れてきた親戚に、「最期の火葬場では、自分と孫(私のこと)の二人きりにさせてくれ!」と頼み込んで納得してもらった。

ようやく嵐が去り(台風という嵐はこの後だったが)、近親の者のみで無事火葬を済ませることができた。叔父が心安らかに自分の母親を葬送することができたと思いたい。

私の方は、これまでの母の幾多の悪行に加え、通夜?と火葬の日の言動・行動に腸が煮えくり返り、母の顔を見た途端、祖母が亡くなった悲しみよりも、母への憎悪の気持ちの方が上回り、祖母との最期を平穏な気持ちでいることができなかった。そのことがとても残念である。

これでまた、母を許すことができないことが一つ増えただけである。

こんな人間に比べれば、叔父はとても常識ある人間だと思う。通夜?の晩、母がいなくなるのを待っていたので遅くなったが、私は妻と子供達(祖母にとってはひ孫)を連れて最期の別れをさせた。その時、妻に叔父はこう言った。
「奥さん、ご免なさいね。旦那さんをずっと借りてて。子供達もたいへんなのに、申し訳ないねぇ。」
子供を持たぬ叔父がこんな優しいことを言う。母ならこんな言葉、一言も言わないだろう。「やって当然だ。」と思うくらいだ。

叔父の顔に泥を塗り、私の祖母との別れの時を台無しにした母を、私は絶対に許さない。
以前、母に言った、「あなたが死んでも泣くかどうかわからないけど、婆ちゃんが死んだら絶対に泣く。」は、こんな事態になることを暗示していたのかはわからないが、私が母の死に際し何かを執り行うことも、最期を迎えるその時もその場にいることは決してない。

叔父との濃密な1週間余りの日々で、以前は単に「変わり者の叔父さん」と思っていたが、自分とかなり意見が合うこともあることがわかった。
私も、「変わり者」と呼ばれようが構わない。
非常識者に何と言われようが、知ったことではないのだ。

| | コメント (0)

直葬

「直葬(ちょくそう)」とは、通夜や葬儀といった葬式を行わず、原則的に火葬のみで済ませる葬儀スタイルを言うそうである。以前から、身元不明者や生活困窮者のケースで火葬のみを行うことはあったが、近年、新しい葬送方法として認識されているようだ。

数年前から、三男叔父からは、「(祖母が)もしもの時、自分は遠方だから(妻の体調のこともあるし)間に合わないかもしれない。その時は焼くだけ焼いておいてくれ! その後、お別れの会でもすればいいから。」と、冗談まじり?、いや本気で言われていた。

今回、祖母が亡くなる数週間前に、老人ホームの責任者から連絡があり、ホームのかかりつけの病院の医師と今後の方針について確認をして欲しいということで、私と祖母の姪になる者数名で、その医師と会って話をした。その医師はとても優しい感じの方で、祖母本人の意思も充分に理解し、私たち身内・親類の気持ちも汲んでくれて、最期を看てくれることを約束してくれた。それはとてもありがたいことであった。前記事には書かなかったけれど、この医師は病院まで特急電車で1時間以上かかるところから通勤しているらしいが、祖母の臨終に際し、早朝5時5分頃のホームからの連絡にすぐに駆けつけてくれた。病院からホームまでおそらく車で20分以上はかかる。おそらく、前の晩は病院で待機してくれていたのだろう。ホームからの事前の説明では医師が来てくれるのに、もしかしたら1日くらい時間を要するかもしれないと言われていたので、すぐに来て頂いたことにとても感謝している。

話は逸れたが、医師との話し合いの後、ホームから亡くなった後のことも親類間で話合っていて欲しいと言われた。具体的には葬祭場をどこにするのか…と言ったこと。これについては姪の一人が「○○院はどうだろう。あそこは家族葬等をよくしてくれる。」という提案があったので、比較的簡単に葬祭場候補は決まった。
しかし、問題は葬儀のやり方である。私は既に叔父から頼まれていたので、冗談混じりにそのことを言ってみた。その場にいた皆が、「冗談でしょ!」みたいな感じであった(やっぱり…、普通そういう反応だよね)。

叔父にはその夜連絡し、皆、看取り方に文句はないが、葬儀についてはかなり抵抗があると思う…と伝えた。

7月に入るとすぐ、叔父は帰郷して、祖母のホームで寝泊まりすることになった。私も休日にホームに行って、叔父と今後について打ち合わせた。

叔父はとにかく、「坊主には一銭も払いたくない。坊主に金を出すくらいなら、来てくれた人にその分の金を配る!」という主張だった。

しかし、「直葬」で問題視化されている、故人を葬ることを軽んじているわけでもない、宗旨・宗派を知らないわけでもない(…というより、よく勉強されている)、無宗教論者というわけでもない、むしろ、いろいろ勉強して知っているからこそ、「葬式はいらない、戒名もいらない」と言っているのだと感じた。

数年前から、祖母が倒れたりすることで、よく帰郷することになったこの叔父と話をすることが多くなったのだが、それまでは子供の頃会ったきりであった。20年ほど前に祖母が最初に脳卒中で倒れた時に見舞った時があったが、久しぶりに会った叔父と顔を合わせた瞬間、「もう来なくていいから…君達には関係ないことだから…」だった。久しぶりに会った甥っ子に、それも祖母を見舞いに来たのに、いきなりそういう言葉か?と、その時はびっくりした。今考えると、祖母はもう亡くなるだろうから、叔父一人の責任で祖母を葬むろうと思って言った言葉だったのかもしれない。

話す機会が多くなってからも、よく叔父は、「自分は母の息子として扱われたことがない。母にとって息子は次男(私の一応父親)だけだった。自分が来ているのは、自分しか連絡がとれないから仕方なく来ているだけだ。」等と恨み言のように言っていた。

だから、「焼くだけ焼いておいて!」ということには、「死んだらそのままにしておくわけにはいかないから、とりあえず仕方ないから焼いておいて!」というように最初は聞こえていた。

でも、特に祖母が亡くなるまでの1週間ほど、私も毎日祖母のところに通い、祖母はもう話すこともできない状態で眠りについたりするので、2時間ほどの間、叔父といろいろなことについて語り合った。

それをここでどう表現していいかは難しいが、叔父は自分の母親のことを本当はとても大事に想っていて、口では義理でやっているようなことを言っているが、自分の手で最期をきちんと看取ってあげたい、葬ってあげたいと想っているのだということを感じることができた。
実際、私達兄弟が大学に進学し、私の母と祖母が上手く行かなくなった頃、祖母が息子(叔父)のところを訪ねた時に、「一緒に暮らさないか?」と祖母に勧めていたということだった。
前記事には書かなかったが、最期を看取った瞬間も、叔父は何も言わず、部屋を一人で出ていった。どうしていたかはわからない。でも、一人、母の死を悼んでいたのではないかと思っている。

本当に言葉どおり、「焼いておいて!」なら、奥さんの体調も芳しくないのに、遠方から早くに帰郷しては来ない。私に任せて、亡くなった後にやってくるだろう。

私は、この叔父の葬送方法に協力することに決めた。

「葬式無用、戒名不用」…白洲次郎の遺言なのだそうだ。私も白洲次郎の名前は聞いたことがあったが、叔父はその言葉をよく口に出して「いいねぇ、いいねぇ」と言っていた。それは単に「坊主に金を出したくない」と言った言葉どおりのものではなく、おそらく白洲次郎もそうであったのではないかと思うが、葬式に義理で知らない人が大勢集まるのではなく、本当に故人を偲ぶ人だけが集まってもらえればいい、費用のかかる見栄の儀式にとらわれず、また、死んでまで戒名というもので格付けされるのまっぴら御免(勉強不足で間違ってたらすみません)…ということに惹かれて言っていたのではないかと思う。
私自身も職場で訃報を聞くたびに、“違和感”を感じている。比較的似た感覚だなぁと感じた。

あるネットの情報を見ると、「正確な統計はないが、葬儀社からの印象をまとめると少なくとも10%ほど、関東など都会では30~40%の人が直葬を希望している」。
…とは言っても、ここは地方、更に祖母の田舎は治外法権がまだ通用するのではないかというくらいの閉鎖的ど田舎。叔父の進歩的?意見が通用するかどうか…。
「葬式もしない、坊主も呼ばない」に加えて、更に叔父は、香典も受け取らない、本人は喪服も持ってないからと、喪服も着るつもりもない。

「喪服も着ない」んですか? その辺は私も気にする。葬式はしなくても、通夜?の晩や翌日、火葬場に行く前に、葬祭場には親戚が最期の別れにやってくるだろう。それを平服で迎えるのは失礼では?
でも、喪主である叔父が平服なら、喪主に恥をかかせるわけにもいかない…。

それで私がした手段は、次のような文書を作って、祖母が亡くなった時に、親戚にこの内容で連絡してもらうことを提案した。これを読んだ叔父は、「完璧だよ。いいねぇ。直葬!」と満足げだった。
叔父の進歩的?で過激な?発言(意向)を、超保守的?な親戚にできるだけ柔らかく伝え、自分自身も自己防衛しようという意図有り有りである。

***** 文書の概要 *****
親戚・関係者各位

   喪主:叔父の氏名

 母・○○○子におきましては、7月△日・○時□分、終の棲家となった老人ホーム「□□□□」の自室で静かに息をひきとりました。
 つきましては、下記祭場にて、故人が生前お世話になりました方々と、最期のお別れをさせていただきたいと思います。
 なお、故人も華美なことは好まず、近親の者で静かに見送りたく、通夜・葬儀・告別式等の儀式は執り行いませんのでご了承下さい。

※ なお、お気持ちはありがたく感謝いたしますが、香典の受け取りはご遠慮申し上げます。また、儀式等は行いませんので、平服でお越し下さい。
*****************

果たして、その効果は…、

通夜?の日の午後3時すぎ頃、私は一端、叔父と二人の通夜?の夜明かしと、翌日の火葬の準備&休憩を兼ね帰宅した。

休憩していた私のケータイが鳴る。叔父からの電話だった。出ると「田舎から親戚一同、一個連隊が到着した。香典を受け取らないというのに、皆、そんなこと言ってたって、こうなるんだよ!」と言って、叔父は数の力に圧倒され断ることもできず、あっけなく撃沈したとのことだった。

それに数名で静かに送るはずだったのに、酒はないもののその場は宴会状態だと言う。KI姉とKU姉がつまみ等を買って持ってきて対応してくれた。

一個連隊が去った後、叔父と二人きりの通夜?が始まった。叔父は様々な分野の本をよく読み、短歌も嗜む。バイクが好きで山登りも好き、多趣味で話は飽きなかった。70歳を過ぎているのに、とてもそうは見えなかった。祖母も生前、「おまえ(三男叔父のこと)は歳をとらないねぇ。田舎の同年代の者は皆、爺さんになってるよ。」と言ったらしい。

翌日は、小雨まじりの天気だった。台風も近づいているという情報だった。あまり暑くなくて良かったかもしれない。

この日も叔父の思惑と反して、親戚一同がかけつけて来た。近親の者のみで送るということにはならなかったが、それはこれまで祖母が皆に愛されてきた証拠だったのだと思う。叔父の「来なくていいのに…」という文句の裏には、感謝の気持ちはあったと思っている。

儀式はなく、お坊さんもなく、最期に来てくれた人で棺に花を供えた。一人一人が祖母への想いを感じていただろう(招かれざる者が一人混ざっていたせいで、私の気持ちはそれどころではなくなっていたが…、そのことはまた記事にする)。

火葬場では、本当に近親の者のみで祖母を送った。お骨もその者のみで拾うことが出来た。
最期は、叔父の望みどおりの葬送が出来たと思う。

「直葬」というスタイルの葬送方法には賛否両論あるだろう。でも、儀式をしようがしまいが、当たり前のことだけれども、故人を心から送りたいという気持ちが大切なのだと私は思う。
私自身もこの方法で葬られてもいいと思うが、もう一つ、「死に行くものは文句は言うまい」というのも言える。どうせ私が先に逝くのだから(ただの希望)、妻には葬送の方法まで注文をつけるのは止めておこうと思う。

そして本日、叔父から電話があった。もらった香典を叔父の地元の特産品と一緒に「御車代」として送り返したと言う連絡だった。火葬の日の朝から、そんなことを言っていたのは聞いてはいたが、本当に返したようだ。叔父は「初志貫徹だ!」と満足げに電話の向こうで笑っていた。受け取った者はさぞ驚くことだろう。出した香典のお金がそのまま送り返されてくるのだ。仰天するに違いない。

祖母はあの世でどう思っていることだろうか。
(息子のことを)「変わり者です。」と笑って許してくれてる…と思いたい。

| | コメント (0)

トイレの神様

「トイレの神様」…この記事名を付けながら、祖母が死を迎える“時”が来るのを待っている。
もちろん、「早く死んで欲しい」等と、“待ち望んでいる”気持ちなど微塵もない。祖母に関係する身内、親戚のほとんどが同じ気持ちを抱いているに違いない。

祖母は既に96歳、もちろん、「この年齢だから死んで良い」というわけでもない。しかし、訳あって老人ホームという施設で一人生きている。このホームに入る前も20年ほどの間、市営住宅で一人で生きてきた。

今のところ、意識もある。ほとんどと言っていいほど、ボケていないから、誰が会いに来たのかもはっきりわかっている様子だ。知っている人が来たら、何か話したいのだろう、一生懸命言葉を発しようとするが、もう言葉にならず、うめき声になるばかりだ。

しかし、本人の希望もあって、呼吸器も付けず、点滴もせず、医療的処置は何も行われていない。この数週間、口からの飲食をほとんど受け付けず、自ら“死”を迎え入れようとするかのように、ベッドに横たわっている。

「見殺しにしているのか?」。
私は自分自身に問い直すこともある。でもすぐに、「いや、婆ちゃんはもう死にたいのだ。死なせてあげなくてはならないのだ。」と思い直す。

私は後悔している。
このホームに入る前の市営住宅で、夜中トイレに起きた時に祖母は倒れた。3度目の脳卒中が原因と思われた。翌日、デイサービスで迎えに来た職員が、いつも準備して待っている祖母が声をかけても出てこないのを心配し、親戚に連絡して、ドアをこじ開けて部屋に入った。
その時、祖母は意識はあったらしいが、「もう病院へはいかない。このまま死ぬのだ。」と言っていたようだ。

親戚からすぐに私にも連絡が入り、市営住宅に向かった。到着した時は、ちょうど病院へ搬送する時だった。

休日だったため、救急で診てもらえる病院で診察してもらったが、もう脳卒中の形跡は認められない、おそらく軽いものだったのだろうということだった。

デイサービスの運営も行っているかかりつけの病院は、専門医がいないから何かあっても責任が持てないと、結局、公立病院に入院し、適切な処置を受けることにより、無事復活することになった。

そして、終の住まいとなったのがこの老人ホームである。
祖母は一見人当たりは良いが、実は人見知りが激しく、身内や親類以外で心を開いた人は、以前、家族5人で楽しく暮らしていた「自宅であったはずの家」の隣人だけだっただろう。

このホームの職員さんの対応や介護には、本当に頭が下がり感謝する想いだが、ホームの他の入所者の人との交流やデイサービスでのゲーム等は、祖母にとって苦痛だったに違いない。
祖母は一人で部屋にいる方が良かったはずだ。私が行くと、小声で「ここの人達はボケてる人が多いのよ。私はこの中に入るのは嫌いなのよ。」とよく愚痴をこぼしていた。

それでも自分自身でできることを出来たら良かったのだけど、入所してすぐ、誰にも迷惑をかけたがらない祖母は、一人でタンスの中の片づけをしていた時に倒れて骨盤を骨折することになった。それで、寝たきりになってしまったのだが、それまではホームの食事はおいしい、寂しいけど、きれいな部屋に住まわせてもらって良かったと言っていたのに、骨折の後からは「ご飯がおいしくない」と言うばかりになっていた。

そして、二言目には、「早く死にたい。あんた達に迷惑ばかりかける。でもどうしようもない」…それが口癖だった。

私は、市営住宅で倒れた時に、そのまま死なせてあげれば良かったのではないか?…そう後悔するのだ。

あの時であれば、本人は混沌としたままだっただろうし、最後に“こんな(あくまで祖母にとっては…という意味)”ホームで暮らさなければならなくなることもなかった。「一人で生きれた」…という自負とプライドをもって「祖母の想いどおりに」死ねたのではないだろうか。

そして今、祖母は、意識もありボケもない状態で、今なら「自ら死を選択できる」と悟って、1日1日“死”に近づこうとしているようだった。

自力で心臓が動かなくなる“時”を感じながら、人は死ななければならないのだろうか?

少しでも、楽に安らかに死の“時”を迎えられるよう、ずっと側にいて、手を握ってあげていたい。でも、そういうわけにもいかない…。仕事もあるし、私の家族もある。今度は私自身が自己満足するように、毎日、仕事帰りにホームに寄って、祖母の顔を見てから帰宅している。「こんなに毎日寄れるなら、もっと元気な時に頻繁に会いに行ってあげれば良かったじゃないか!」…自分を責める。

祖母の思い出…、
祖母はよく私を褒めてくれたが、優しいだけの人ではなく、厳格なところもあって、よく怒られもした。

私が小学生の頃、よく絵(マンガ)を描いていて、それを見ては「上手いものだ」と褒めてくれた。
「よく怒られた」ということは覚えているが、何で怒られたかは記憶にない。でも、とにかく「きちんとすること」、「まじめにすること」を祖母からは教わったように思う。
そう言えば、家の窓拭きをよく手伝わされた記憶がある。弟と二人でそれだけはよくやったような気がする。

私の父親がダメな人で、その代わりに母親が働いていたので、祖母は完全に私達兄弟の親代わりだった。
もう、私の記憶にはないが、祖母が何度も何度も話して聞かせてたことは、「あんた(私)を歩かせて、(年子の)弟を背負って、K池(自宅近くの池)に散歩に連れていった。たいへんだった。」ということ。

親類が小さな商店を経営していて、毎日のようにバスを使って行っていた。商店が忙しかった時、祖母が洗濯等の手伝いをしていたような記憶がある。そこの娘達(婆ちゃんにとって姪、KI姉ちゃん、KU姉ちゃん)が私達兄弟が小さい時に高校生くらいで、私達のことをかわいがってくれたことを覚えている。

「自宅であったはずの家」では、私達兄弟の部屋と祖母の部屋は隣どおしで、夜、ちゃんとふとんをかけて寝ているか、毎日確認してくれていたと思う。

あと、祖母は料理はあまり上手ではなかった。私が中学の時の弁当のおかずは、ちょっと人前では開きたくない(2色)ものだった。そのくせ「男子厨房に入らず」という古い考えの人だった。私は料理に興味があったので、大きくなるにつれ、よく台所に入るようになっていた。そのうち、祖母の気も変わったのか、「自分が野菜は切るから、あんた何か作らんね。」と言うようになっていた。

高校生くらいになったら、自分も多少「大人」になったつもりだったのか、祖母から言われることが少し疎ましく感じたこともあった。

祖母と一緒だった生活は、そこで終わる。
父親と母親が私が中3の時に離婚し(離婚させたのは私?)、それでも母は祖母にいろんなことで感謝していたので、一緒に暮らしていたのだが、私も弟も大学に進学してしまって家を出たため、母と祖母の関係は難しくなってしまった。
それで、祖母は一人で生活することを選んだのだった。本当は母親が出て行かざるをえないような状況を作ったに違いないが、祖母は私に「自分が望んで一人暮らしをしたかったのだ。」と一言も母親を責めるようなことは言わなかった。ただ一つのお願いは、「孫(私達兄弟)には会わせて欲しい。」だったそうだ。

学生時代を終え、帰郷して仕事についてからも、機会あるごとに祖母には会いにいった。結婚して子供ができるのに長くかかったけれども、ひ孫を連れて会いに行った。その度に祖母は「ありがとう、ありがとう」と手を合わせるようになっていた。

祖母には息子が4人いる…らしい。
一人(次男)は、生物学的・戸籍上私の父親になる人(残念ながらまだ生きてはいる)。長男と四男は行方知れず、兄弟間でも連絡はとれない(おそらく生きているらしい)。
今回、祖母の死(息子達にとって母の死)に際し、唯一連絡がとれ、ずっと付き添ってくれたのは三男の息子であった。関東の方で妻と二人暮らし。妻になる人も病気をして体調は芳しくないらしい。
次男(私の父親になる人)以外は、子をもうけていない。つまり、祖母にとって孫は私達兄弟のみということになる。

三男叔父だけは連絡がとれるので、これまで祖母が倒れたりするたびに帰郷してくれた。
今回も、ホームの祖母の自室に、ホームの方で準備してくれた簡易ベッドに寝泊まりして、約10日ほどを付き添ってくれた。三男叔父が来るまでは、夜中何回もベルを鳴らしていたらしいが、叔父が付き添うようになってからベルを押すことはなくなった。やっぱり寂しかったのだろう。叔父の帰郷は祖母にとってどんなに心強かったことだろうと思う。

15日の夕方、いつものように仕事帰りにホームに私は向かう。
その途中に叔父からケータイに電話があった。
「いよいよかもしれない。でも気を付けて、ゆっくりでいいからね。」
胸が高鳴る。この1週間毎日顔を見には行っていたが、やはり最期に間に合いたかった。

ホームにいつもの時間に着いて駐車場から走る。
部屋の戸を開くと、叔父のニコッとした顔があって、「落ち着いたよ」という言葉、間に合った。
いつものように2時間ほどいたが、落ち着いた状態だったので、私はいったん自宅にもどり、休憩することになった。でもおそらく今日・明日だろうということだった。

自宅に帰って夕食をとり、お風呂に入って、しばらく仮眠をとろうとした。でもこんな時はなかなか寝れるものではない。
そうこうしていたら、11時頃叔父から連絡があった。「いよいよかな。ゆっくりでいいから来れる?」

半分寝ているのか起きているのかわからない状態で、車を走らせる。
ホームに着いたら、叔父、KI姉夫婦、KU姉がいた。祖母は、また少し落ち着いたとのことだった。でも、確実に少しずつ生命レベルを下げている…という感じだった。医療器具は一切装着されていないので、どんな状態なのか数値ではわからない。
ホームの看護師に叔父が、「もう昏睡状態ですね」と言うと、看護師さんは静かに頷いた。

しばらくしてKI姉の旦那さんが帰宅し、叔父、KI姉、KU姉、私の4人で祖母を見守った。時折、口の中に胆が溜まる、それをホームの看護師さんにお願いしては吸引器でとってもらう。確実に“死”に近づいているのだけれど、できるだけ苦しまないようにしてあげたかった。それはここにいる4人全ての願いだった。

何回も何回も、「もういよいよか」というような状態に陥る。そうは大きくはないが規則正しく呼吸をしていたのが、しばらく呼吸できない状態になり、そしてその前段階よりも小さい呼吸になっていく。そしてその状態でしばらく安定していく。

その間、ほとんど休むことなく、叔父は左手を握り続け、私は右腕をさすり続けた。

昔、母にこう言ったことがある。
「あんたが死んでも泣くかどうかわからないけど、婆ちゃんが死んだら絶対に泣く。」
もちろん母と現在の状態(絶縁)になる前のことだったけど、いざ、祖母が死を前にして私は自分自身が泣くのかどうかわからない気持ちでいた。
悲しみ?、寂しさ?…どんな気持ちになるのだろう。変な言い方だが、「泣けるのかなぁ?」とまで考えていた。

とうとう、その“時”はやってきた。
2011年7月16日(土)、午前5時5分(正式には医師が確認した時間で午前5時35分)、祖母は息をひきとった。祖母は癌もあるとは聞いたが、ほんの小さいもので痛みなどはないということで、死が近づく間も、そして死に顔も本当に安らかなものだった。見守る私達も安らかな気持ちでいられた。
息をひきとった瞬間、自然に私の目から涙がこぼれた。号泣したわけではない。ごく自然に涙が止まらなかった。
「悲しみ」「寂しさ」などと表現しなくてもいいのかもしれないが、敢えて表現するなら、やはり祖母に対する「感謝」の気持ちと、96年間の祖母の人生に対してねぎらいの「お疲れ様」という気持ちだったと思う。

「トイレの神様」…この歌詞を少々お借りする。

 ♪ちゃんと育ててくれたのに
 ♪恩返しもしてないのに
 ♪いい孫じゃなかったのに
   …

 ♪ばあちゃん
 ♪ばあちゃん
 ♪ありがとう、

 ♪ばあちゃん
 ♪ホントに

 ♪ありがとう(そして、お疲れ様)

私のカーステでしばらくの間、鳴り響くに違いない...

このお休みの間に火葬を済ませた。
19日は疲れもあったので1日仕事を休ませてもらって、家で寝ていた。
やっと夕方起きる。
KO君とTO君、妻と私、いつもの家族4人が確かにいる。
でも、何か…誰か一人足りない気がする不思議な気持ちがずっと続く。
「婆ちゃんのことだろうか?」…わからない。この家で一緒に暮らしたことはない。1度だけ新築したからと言って、まだ元気な時に連れてきたことがあるだけだ。
でも、もう会うことはできないので、写真立てを買ってきて、遺品の中にあった婆ちゃんの写真を部屋に置こうと思っている。

| | コメント (0)

ケロロ 再び…

お気づきのこととは存じますが、blog の背景が「ケロロ軍曹」になってます。かなり以前に一度したことはありましたが、やっぱり恥ずかしくて止めていました。

まぁ、今回もいつまでこのデザインにするかはわかりませんが、あまり気に入ったものもないので、しばらくこのままにしておこうかと思っています。


ケロロ軍曹」とは、地球を侵略するためにケロン星から送り込まれた宇宙人の小隊…ケロロ小隊の地球侵略物語(?)です。…と言っても、見てのとおりのギャグアニメ、地球人の日向(ひなた)家きょうだい…冬樹と夏美に捕獲され、家事・手伝いをさせられる居候身分、その傍らで毎回、ただの思いつきのわけのわからない地球侵略作戦を決行しては失敗する…というお話です。

ケロロ小隊のキャラクターは…、
ケロロ軍曹(緑)…ケロロ小隊隊長。日向冬樹とお友達で日向家に居候中。趣味はガンプラ作りとネットサーフィン。

タママ二等兵(黒…おたまじゃくしの尻尾あり)…日向冬樹に片思いする西澤桃華の西澤家(大金持ち)に居候中。お菓子大好き。普段はかわいいがキレると怖い二重人格。

ドロロ兵長(青)…元ケロロ小隊の暗殺兵だったが、今は地球の自然と平和を愛し、地球を守る側につく。実力はあるのに存在感はちょー薄く、幼い頃からケロロに取り残されることが多かったらしくて、「ひどいよ~ケロロく~ん」とトラウマスイッチが入ることも…。

ギロロ伍長(赤)…ケロロ小隊の中で唯一軍人らしい。…が、冬樹の姉・日向夏美に惚れてしまい、地球侵略をケロロ軍曹に言い出せない。

クルル曹長(黄)…発明の天才。でも性格は陰湿。小隊の中では作戦通信参謀。キャラはともかく、私としては、声優さんが「機動戦士ガンダムSEED」に登場する「ムウ・ラ・フラガ」役の「子安武人」さんという方だと、「ケロロ軍曹」放送中にクルルの声(いつも、クークックックなどいかにも陰湿な変な声ばかり…)が一瞬格好良くなって「ムウ」さんの声だと気付いた時の驚きは感動でした。「声優さんってすごい。ここまで声を使い分けられるんだ!」って…。

まぁ、とにかく、ケロロ一人に、いつも小隊のメンバーや日向家、西澤家などの地球人も振り回されるって感じのアニメです。


最近のTO君、KO君のお気に入りアニメは、この「ケロロ軍曹」、「SDガンダム三国伝BraveBattleWarriors」、他にも「イナズマイレブン」、「名探偵コナン」、「ルパン三世」など…。

「SDガンダム三国伝BraveBattleWarriors」はプラモデル集めてどんどん増えていっています(部屋の中に置く場所がない…)。→すごくはまってしまってたので、せっかくだからと、「漫画 中国の歴史 三国志の英雄たち」を買って読ませてます。
何だか、そのガンプラ探したり、作っているTO君の姿がもろ「ケロロ軍曹」そっくりだし、キャラも似てるなぁと再認識しているところです。

特に、自分の興味あることはものすごくやる気だして熱中し過集中するクセに、勉強なんかは最後の最後まで引き延ばし、締め切り(時間も…)間近になって、「うぉー」とか言いながらやり始めるところなんか、そっくりなんです。TO君一人に振り回されてるKO君と私達って図式も同じかも…。


うちの家族をケロロ小隊に例えるなら、TO君は間違いなく「ケロロ軍曹」…そのままです←本人(TO君)も自覚してます。

KO君は…、そうだなぁ。チョー甘えん坊さんのかわいい時と二重人格なところ、大食いなところは「タママ二等兵」かなぁ。毎日、TO君の面倒をみてあげてるのに、とんでもないことされたり言われたりして、「ひどいよう~。TOく~ん」って時は、「ドロロ兵長」って感じですかね←KO君自身も「ドロロ」と言いました。

妻は、「ケロロ軍曹」の行いに毎日怒って、「ボケ ガエル!」と叫んでる「日向夏美?」…いや、そんなに若くないしかわいくない…。やっぱり妻は「ケロロの母?」

私は…、ワイルドで恋に一途な「ギロロ伍長」…のようにありたいと思いつつ、「クルル曹長」かなぁ。天才でもそれほど陰湿でもないとは思いますが…、単に「ムウ」さんの声優さんってのが気に入っているだけ? 私の場合、「ムウ」さんというより「アズラエル」?(さてどういう意味でしょう? ガンダムSEED知らない人はわかりませんね。すみません)。


自閉圏の方のことを、よく「異文化」で例えることがあると思います。全く文化の異なる外国人、もしかしたら(おそらく)いるだろう宇宙人と接する時、相手のことをよく知ることが一番平和な解決策を見いだすことになるのかも…?

あまり深く考えているわけではありませんが、単に「ケロロ軍曹がおもしろいから」というだけでなく、そういうこともちょっと考えつつ、この blog デザインでしばらくいこうと思います。

| | コメント (2)

私もでるっ!

Dsc02150s

年越しガンダム・ネタです。
今年もよろしくお願いします(誰に?)。

写真は、前記事に続いて「Gundam BE@RBRICK」。「赤い彗星」こと「シャア・アズナブル」です。

年末、同じ職場の私と同年代の女性職員(ガンダム好き?…というかシャア好き)と、この「Gundam BE@RBRICK」で盛り上がってましたら、一回りほど若い別の女性職員(ペプシ好き)が年明けにどこかのお店で見つけて来てくれました。

せっかくのご厚意を受けまして(おそらくペプシが欲しかっただけで、“これ”に興味がないだけ…)、ありがたく頂戴いたしました。

しかし、「メタボなシャアってどうよ?」って感じです。「機動戦士ガンダムさん」のシャアを連想します(←何それ?)。
たぶん、この BE@RBRICK のデザインで違和感ないのは「ランバ・ラル」と私くらい?・・・

余談ですが…、
この「Gundam BE@RBRICK」が付いているペプシ…、うちの家族がよく行くお店では見つけられなくなりました。結構な方が購入されたのでしょうね。
ただ、この休みに某生協のお店に行きましたら結構残ってました。

私が、「ガンダムの予備が欲しいなぁ。」と言いましたら、
優しい妻が、「探してみようか?」と言って冷蔵ショーケースをごそごそ(←やっぱり端から見たら怪しい人…)。
ちょうど、ジュースの棚出しをされていた店員さんがいて、「ここに全種類揃ってますよ」と、ガンダム付きのペプシをくださったそうです。親切な店員さんありがとう!
その後しばらくして、妻も、「私もシャア・ザクの予備探そう~。」と探したんですが、ケースにはなく、店員さんももうどこかに行ってしまった後で、シャア・ザクは手に入れられず、代わりに「シャア専用ゲルググ」を取ってきてました。

うちはどれだけペプシ買ったんだろう、そろそろ飽きてきたところです・・・。

| | コメント (0)

はい、チーズ!

Dsc02144s
これ、「BE@RBRICK(ベアブリック」といって、
熊(テディベア)のかたちをモチーフにしたフィギュアなんだそうです。

Dsc02136s
「デジタルなイメージのテディベアを作る」というコンセプトで2001年4月に誕生したブロックタイプフィギュア(全長約6センチ)。
アーティストや企業コラボなどの限定品があり入手困難なものもあるとか…、
写真はペプシとのコラボによる、見てのとおり「Gundam BE@RBRICK」です。

知らない方のためにご紹介しておきますと、前列左から、
ジム、ガンキヤノン、ガンダム(…この3つが地球連邦軍です)、この後は全てジオン軍ですが、シャア専用ザク、グフ、量産型ザク。
後列に移りまして左から、
ドム、シャア専用ゲルググ、アッガイ、シャア専用ズゴック、ズゴックの順です。

最初に見つけたのはいつも休日に買い物している某量販店。
妻がジュースの冷蔵ショーケースの前で、
「ねぇ、ねぇ、おもしろいものがあるよ。」

男3人(もちろん、私とKO君、TO君です)、ぞろぞろと…、

それからは男3人で…、
「どれにする、どれにする。」
「お父さんは、どれも捨て難いけど、う~ん、とりあえずガンダム!」
KO君は、「ボクは何でもいいけど、青が好きだから、グフにする。」
TO君は、「う~ん、どうしようかなぁ。悩むなぁ。どれも欲しいなぁ。う~ん、しかたない、アッガイ!」(相変わらずマニアック?)。

特に興奮しているのは、私とTO君です。
KO君は本人もそう言ってますが、私達2人につき合ってやっている…という態度(これがポケモンなら話は別だろうけど…)。
最初に見つけた妻は…というと、いつしか別の買い物にいったらしく、遠目に私ら3人の姿を見て、「怪しい親子に見えた」と言ってました。
しかし、その後近づいてきて「シャア・ザクある?」(さすがに人気なのか、既になし)、「ないなら何でもいい。」
…なら、私の好みで“量産型ザク”にさせていただきます。

とりあえず、“この日”は厳選4本ですませました。

その夜、さっそくガンダムをケータイにつけている私を見て、妻が「やっぱりシャア・ザク欲しいなぁ。探してきて。」

私も欲しかったので、今度は職場の近くにある某農協系スーパーに昼食を買うフリして行きました(そういうローカルな場所に残っているのではないか?…というのが狙い)。
ショーケースには確かにある。しかし、シャア・ザクの姿はすぐには発見できず、“仕方なく”前の方を数本どけると…、あの一番奥に見えるのはおそらく狙っているもの…ごそごそと他のペプシを除きながら、ついにターゲットへ…「ありました。シャア・ザク ゲットです。」
でも、端から見たらかなりの不審行動ですよね。

その日の夕方、前の記事に書いた病院へTO君を連れていきました。…本当はそのことを記事にしなきゃいけないんだけど、今日はとりあえず置いといて…、

病院の帰り、TO君と2人で自宅近くの某ローカルスーパーに寄りました。最初は冷蔵ショーケースにはなく、諦めかけていたのですが、常温の棚、それも一番上段にありました。
TO君を抱え、「何がある?」
結構、いろいろ揃ってまして、とりあえず、「シャア専用ゲルググ、シャア専用ズゴック、ドム、ガンキヤノン」の4体をゲット。
TO君と2人、「バカな親子だよねぇ。」と話ながらレジへ…。店員のお姉さんの顔が呆れ顔に見えたのは気のせいでしょうか…。

さらにその後、別の買い物をするために某量販店に行った時に妻に電話、すると…、
どうしてもケータイストラップに「グフ」が欲しいとのこと(妻も青色が好き、ケータイも青色なので…)、KO君に交渉するも譲ってくれないらしく…、

…で、再度、TO君と先ほどの某ローカルスーパーへ逆戻り…、
そんで、結局、「グフ、ズゴック、ジム」をゲットしまして、MOBILE SUIT は全て揃えたことになり、めでたく記念撮影となりました(アムロ・レイ、シャア・アズナブル、セイラ・マス、ギレン・ザビ、ランバ・ラルと登場人物のフィギュアもありますが、私達には興味ありませんです。)

TO君は、これに、
「ドムを3つ揃えて、ジェットストリームアタックしようよ。」とか、
「量産型ザク、ジムはいっぱいあっていいんじゃな~い?!」と“おもしろい”こと言うし…。

しかし、BE@RBRICKとしてのデザインで一番合っているのは、TO君が選んだ「アッガイ」かもしれません。「模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG」に出てくる「ベアッガイ」ってのもあるので、「テディベア」と「アッガイ」の組み合わせは違和感ないかも…。

私ら完全に「ザビ家」じゃない…「ガンダム一家」ですかね? ジーク・ジオン!
このペプシの山…かなり売上に貢献してしまいました…。

| | コメント (0)

“甘え”になる前に

早いものです。年が明ければ3年生最後の学期となり、4月には4年生、何ともう小学校後半戦に突入してしまいます。

妻の blog にあるとおり、24日はTO君のケース会議に臨んで来ました。
気合いだけは入れて臨みましたが、これまでだったら話す内容のメモを作ったりと準備万端で行ってたのに、この日は前日に妻と打ち合わせをし、妻がノートに数行のメモをしていっただけ。私達もこのケース会議に“場慣れ”してきたのでしょうか?!
学校側の出席者は、今回は支援級の担任と交流学級の担任のお二人、いつもは校長・教頭先生も出席して下さるのですが、ご出張だったのか、休日の谷間でお休みを取られていたのか? まぁ今回は、担任の先生お二人とざっくばらんに話が出来ました。

“就学前の”ケース会議から、学校側には私達の意向はお伝えしてきたつもりですが…、
私達の期待・希望としては、TO君には小学校の高学年のうちに支援級を卒業してもらい、通常学級のまま中学校入学を迎えてもらいたいと考えています。
理由には、TO君は療育手帳を持っていない、持つことができない(手段によれば可能かもしれませんが…)。…ということは、将来、高等学校は通常のお子さんと同じところに進学することになると思います(もちろん、受験をパスすることができれば…ですけど)。そして中学校もです。今は、中学校に支援級が存在しますが、少なくともTO君が小学4年生に進級した時に、中学1年生に在籍者がいなければ、TO君が中学1年入学時に支援級を継続してもらえるという可能性もなくなります。現状ではそれも難しい、おそらくTO君が中学入学する以前に、中学校の支援級は在籍者がいなくなり閉級してしまう可能性が“大”なのです。
とにもかくにも、TO君はいつか、障害は持ちつつも“普通の人”と同じように、この社会で仕事をし、生活をしていかなければならない。だから、そのために、今、どのように小学校生活を送ることが最善なのか、学校の先生方をはじめ支援者の先生方とともに、親の責任において導いていかないといけないと考えています。

3年生でのTO君は確実に成長をしていると感じています。それは運動会や表現集会などを見ているとわかります。これまでいつもと違う行事ごと等に不安がっていたTO君とは別人のように落ち着いて、みんなと一緒の活動ができています。そういう姿を見てて、私達も評価をしていたので、4年生からは支援級を完全に卒業するわけではないけれども、交流学級主体でいけるのではないだろうか…という気持ちになっていました。

しかし、参観日の時に妻が支援級の担任に話を聞いてくると、「TO君は頑張っています。でも、情緒的に課題がある場面もまだあるし、支援級での授業をなくすのはまだ難しいのではないか。支援級での時間がクールダウンになっている。云々…」とのこと。

う~ん。これはちょっとまずい。
…というのも、最近、TO君が学校であった、マイナスの出来事を家で話さなくなってきているのです。下校途中にKO君には話しているみたいですが、KO君に話したことで消化しているのか、帰宅してKO君がTO君に「お母さんに話さなくていいの?」と言っても、「うん、もういい。」という感じで話さないことがあるのだそうです。プラスのことはいっぱい話してくれるそうですが…。これも一つの成長ではあると思って、妻も必要以上には聴かないようにしているのですが、だからこそ、先生方からのフィードバックが不可欠なのです。

就学時からずっと先生方にはお願いしてきたことですが、TO君に学校であった不適応な行動・言動等は「連絡帳」を通じて、家庭にフィードバックして下さるようお願いをしてきました。そうすれば、家庭でもTO君に対し、何らかの療育的な支援ができるからです。
しかし、これもTO君の成長と言えば成長ですが、先生に「これは連絡帳に書かないで」とお願いすることもあるようで、どうも伝わってきてない情報もあるようなのです。

念のため、全ての先生方の対応を非難しようとしているわけではありません。先生方は、TO君の頑張りを認めて下さっており、その中で、TO君の特性も理解し、日々の学校生活でのTO君への対応を気を使ってしていただいていることも、今回のケース会議でよくわかりました。ありがたいことです。私達も全てを知らなければならないと思っているわけではありません。そんなことは無理な話です。ただやはり、TO君のような子供は、通常のお子さんと違って、「自然の成長」だけを待っていれば成長するわけではない(それはKO君を見てればわかります)、支援する側がタイミング良く教えて、経験と共に、「適正な行動・言動」がとれるような“引き出し”を出来るだけ多く作ってあげる必要があると思います。

お友達との関係でも、2年生の時までは、やはり少しは友達の方がTO君に遠慮したり、優しくしてくれていたところがあったようですが、3年生になり、良い意味でみんながTO君を「特別扱い」せず、「対等である」存在として接してくれているようです。先生方としては、だからこそ、TO君はその中で頑張っているので、全く支援級での生活をなくすのは厳しいのではないか?…ということのようでした。

今回のケース会議、時間も短かく、話し足りないこともあったのですが、私達の想いは伝えたつもりです。上記に書いた「私達の将来への期待」に導くために(もちろんTO君に無理強いにならないように…)、今、支援級をどう使っていくか、情緒面をどう育てていくかなどについて、先生にご理解とお願いをしてきたつもりです。
支援級の存在が、TO君にとって“心強い”存在ではあって良いと思いますが、決して“甘え”の場所になってはならないと思っています。

先生方からも、また、支援級・交流学級の先生方の間で話し合って、TO君の支援級と交流学級の使い方を話し合って、後日、私達に相談して下さると言っていただきました。また、情報のフィードバックについても再度、お願いをしてきました。
3学期に入ってどのような対応をして下さるかはわかりませんが、私達の意図を汲んで下さることを期待して待ちたいと思います。

| | コメント (0)

そろそろ行きませんか?

「あの~、ちょっとお話があるんですが…。」
この改まった物言い、TO君のクセですね。いつもするわけではないですけど、お願いがある時なんかに時々しますね。

つづけて…、
「あの~、2学期も終わるし冬休みもくることですので、そろそろYO先生のところに行きたいですが~。」

YO先生とは、昨年末(2009年)から行き始めた、かかりつけの精神科の先生のこと。

「あんた行きたいの? 何か先生に話したいことでもあるの?」

「はい、話したいことがあるんです。でも、お父さんもお母さんも忙しいですから、すぐじゃなくていいですよ。1月になってからでもいいです。」


うれしかったです。TO君がこんなふうになってくれるなんて…。

まず、自分からYO先生に話をしたい…と言ってくれたこと。YO先生を自分の見方になって支援をしてくれる、安心できる存在として認めてくれたということです。
そして、そのYO先生に話を聴いて欲しいようなことがあることを自分で認識している。
更に、それを自ら私達に連れていって欲しいとお願いしてきた。
更に更に、私達親のことを気遣ってくれる発言…。

TO君、成長したなぁ。感激です。

私達の意図も上手くいくかもしれません。TO君にはいつか私達両親以外に自ら相談していく相手が必要になるだろうと考えていますから、そういう必要性が出てきた時に、何のためらいもなく、TO君自身が相談できるようになる必要があると考えているからです。

さて、気になる(?)先生に「話したいこと」ですが、だいたいはわかっています。おそらく、給食当番のことです。TO君は給食当番になることをかなりストレスに感じているのです。
決して、TO君が給食当番を上手くできないから…とかではなく、他のお友達の動きが遅く、当番だとすぐに給食を食べ始めることができないので、「おかわり」ができない…というものです。
そんな(大人からすれば)たわいもないことですが、TO君にとっては間違いなく大きなストレスですし、こういう小さいことでもいいから、それを人に伝えることができるようになることは重要なことだと思います。

TO君の頼みです。仕事納めの前に休みをとって、ちゃんとYO先生のところ受診しに行きますよ~。

| | コメント (0)

オープンスクール

11月のとある日曜日、KO君、TO君が通う小学校と隣接する中学校で、同時にオープンスクールが行われました。

隣接することもあり、小学校と中学校との連携をウリにしています。

例えば、ハード的な面では、小学校と中学校を渡り廊下によってつなぐことで、数分で行き来が可能になっていて、それによって、ソフト面では…、

小学校では担任の先生が全ての教科を教えていたのに、中学校では突然、教科毎に先生が変わる授業体系になることから、小学校の6年生時には、中学校の先生が一部の教科を受け持つという取り組みや、
その反対に、小学校時代の算数等の修得不足に配慮するため、中学校の1年生時には、小学校の先生が中学校の先生と一緒に授業を進めるなどの取り組みがなされています。
授業以外では、学校の清掃を中学生と小学生が同じ場所を一緒に掃除するというようなことも行っています。
そして、この小学校の生徒のメンバーがほとんど変わらないまま、スライド式にそのまま中学校に進学するという状況があるものですから、中学校の先生が小学校のうちから生徒を知れる(またその逆も)、また、小学校の先生も中学に行った生徒のことをフォローできる…などといったメリットがあります(異動があったら仕方ないですけどね)。

これらのことは、通常学級に通う子供達にもたいへん良いことですが、TO君のような特別支援級に在籍している子供にとっても、とてもメリットがあると思っており、私たちも歓迎しています。

しかしですね…。

今回のオープンスクール、通常学級では上記のメリットを保護者や学外の地域の方々に、存分にPRするような形で行われていたと思います。
でも、TO君が在籍する小学校の情緒クラスと、知的・身体的なハンディを持つ子供が在籍するクラス、更に、中学校の支援クラスは、合同で「おもちゃ作り」だったんです。
その予定を知った時点で、既に私達は「行きたくなかった」です。更に、その前日くらいに、TO君がKO君に向かって、「ボクはおもちゃ作りで、いいだろう!」とか言うものだから、もう腹が立って、ついTO君に説教してしまいました。

「おもちゃ作りで何を満足してるんだ! そんなことするためにお前を支援級に入れてるんじゃない!」

私たち夫婦としては、TO君を支援級に入れたのは、そのクラスで特別、通常のクラスと違ったことをして欲しくて入れたわけではありません。
まだTO君には無理かもしれないけど、今回のオープンスクール、交流学級では国語の授業でしたので、普段ならTO君は交流学級でみんなと一緒に授業を受けてるのですから、TO君には「何でボクは○○○○(支援クラスの名称)に行かなきゃならないの? ボク、みんなと一緒に国語の授業受けたい。」とくらい言って欲しかったです。

でも、これも学校で決まった方針でしょうから仕方ありません。学校には、普段から私達の要望を聴いていただき、理解をしていただいて対応してくれているのだから、あんまり何でもかんでも文句は言いたくはありません。

当日は、TO君も見に来て欲しいだろうから行きました。

「おもちゃ作り」と言っても、もちろん、やり方によっては、特別支援級ならではの授業になるのはわかっています。他者とコミュニケーションをとりながら、みんなと協力・共同して、何か一つの物を作り上げる。それで、コミュニケーションや社会性の力を育むとかいう狙いとか…ですね。
TO君の支援級担任の先生は、それを目指して授業を進めて行こうと思っていたのだろうなぁというのはわかりました。でも、他のサポート(?)で入っている先生は何の役にも立ってない。おそらく授業の意図すら理解してないのではなかろうか?って感じでした。

今回の授業の本来の目標は、中学校の支援級の生徒がリーダーシップをとり、小学生の意見を取り入れながら、グループ(1グループ5名くらい)で一つの作品を作りあげる…だったんだろうと思います。
もう途中で、KO君のクラスや、せっかくだから中学校の授業を見に行きたかったので、授業全体の経過は知りませんが、終了頃にもどってみたら、一人一人がそれぞれのこだわりでおもちゃを1個ずつ作っていました。…失礼ですけど、これじゃみんな“特性”そのままじゃん!…です。 がっくりです。

そりゃねぇ。中学生とは言え支援級にいる生徒に、本当にリーダーシップをとれって言うのは無理な話ですよ。それができるなら、通常学級でもバリバリやってるだろうし、中学生でも通常学級の生徒が小学生相手にリーダーシップとれるかって言ったら、それもわからないかもしれないのは想像できます。
だから、今回のような授業をするなら、学校の先生達は念入りな打ち合わせが必要だったんじゃないでしょうか? 特に中学生にどうやって小学生をひっぱっらせるか。シミュレーションも必要だし、当日どのようなサポートが必要かなど…いろいろあると思います。そういうことわかってて、このオープンスクールの授業を企画したんでしょうかねぇ? 疑問が残ります。

学校の先生には言えませんけどね。普段からお世話になってますから…。でも、これほど見たくないオープンスクールはありませんでした。

私としては、極端な話、TO君に「この子は支援級在籍の子供です」ってラベルか何かを貼られてでも、交流学級の授業に出てもらって、こんな子でも必要な支援と環境さえ整えられれば通常学級でちゃんと授業が受けられるんです…っていうオープンスクールにして欲しかったです。実際はできないですけど。

この「オープンスクール」ネタのついでに言わせていただくと、平日に地域の特別支援クラスの子供ばかり集めて運動会やレクレーションするのも反対です!(だから、うちは参加させてません)。
学期毎に、支援級の生徒だけで誕生会(お菓子や寿司作ってパーティー)するのも大反対です!(仕方ないから行かせてるけど、うちの場合、双子のKO君のフォローがたいへんなんだから…)。しまいにゃ、「自立活動」だって、授業でファミリーレストランでお食事させる。何でそんなことをしなきゃいけないんですか?

何を目的にしているのか、私にはわかりません。
「特別支援教育」とは、一人一人に合った必要な支援・手だてを行うことによって、それらと環境が整えば、彼らでも充分、地域の学校で、通常の学級で他の子供達と一緒に授業や活動ができるというのが本来の主旨であって、特別扱いしたり、特別なことをしたりして、通常学級の子供達と“違う”ことをさせるってことではないと思うのだけど、そうではないのでしょうか? 名称が変わっただけで、してることは旧来の「特殊教育」と一緒ではないのでしょうか?

これでは、通常学級の子供達からすれば、何でTO君達は自分達が勉強してる時間に、お菓子作ってパーティーなんて楽しいことしてるの? 何で学校で給食以外にお菓子やお寿司が食べられるの? 勉強せずにファミ・レス? いいなぁ。…だけならまだいいですが、しまいには、「あの子達は仕方ないんだ。」 あの子達は「特別扱いをされても仕方ない、自分達とは“違う”子」ってことになりはしないでしょうか?

「特別支援教育」って何? 考えさせられたオープンスクールでした。

| | コメント (2)

«高~い「石」