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2006年10月29日 (日)

高校の必修科目履修漏れ問題

しばらくblogお休みと言っといて…なんだけどが、この高校の必修科目履修漏れ問題について、ちょっとだけコメントしておこう。

私が高校生の時、もうかれこれ20年以上前になる。この時代もやはり、学校全体(教師にも生徒にも保護者にも)に「大学受験のため…」という雰囲気はあった。もうカリキュラムがどうだったのか覚えていないし、あの時と現在はきっと変わっているのだろう。

社会科の科目などは、確か受験で一番点の取りやすい地理を履修する生徒が多かった。
私は、この「受験で一番点が取りやすい…」というのに反発?し、素直に勉強したいと思う日本史と世界史を履修した。どれが必修科目だったのかは覚えていないが、世界史はとても人数が少なかった記憶があるので、世界史はきっと選択だったのだろう。
私の場合、素直に勉強したいとは言っても、もともと社会科の教科は苦手だったし、日本史の興味があるのは戦国時代だけ、世界史の興味があるのは中国の歴史だけで、特に世界史のヨーロッパの時は、カタカナばっかり出てくるのでそれを覚えられずにとても苦労した。

ただ、私の想いとしては、勉強とは…その事柄(ここでは教科)に興味があり、もっと知りたい、深く考えたいなど、自らの知的好奇心をかき立てられられることが本来の意味だと考えた上での選択だった。
地理を履修する…、地理だってとてもたいせつな事柄だ。国内のまた世界の国々のことを知りたい、国際情勢等を知りたい、またこのような仕事に興味があり将来そういった仕事をしてみたいということなら、地理を選択するというのは正しい選択である。
しかし、「受験で一番点が取りやすい」ということで選択するのは間違っているのではないかと私は思う。

そんな甘いことを言っていたら、行きたい大学に入れない。受験でいい点がとれない。そういう反論が返ってくるのだろう(確かに、私の場合もそういう意味だけなら、地理にしておけばもしかしたら少しでもいい点が採れたのかもしれない…。もともと社会苦手だから無理かなぁ)。
「大学受験」もたいせつな事、だけど、そのためだけの勉強に高校3年間のたいせつな時間を費やすのはおかしいのではないだろうか?
今の現状では、残念だけど「大学受験」=「勉強」ではない。ただ、大学に受かるためだけのテクニックを身につけようとしているだけだ。
生徒が高校で勉強したこと自体が評価され、その上にある「大学受験」というものになって欲しいと願う。

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コメント

私もこの件はびっくりしました。なんか日本はきちんとシステムが組まれてて、それから外れるような事はしない民族で、要領わるいなぁ。。。と思ってぐらいでした。アメリカの高校は日本の大学と同じようなシステムで、担当のカウンセラーと自分と自分の時間割を必要単位の中から選ぶというものでした。最初は戸惑ったけど、アメリカ人の高校生をみて納得。自分の将来やそのため必要な勉強などしっかり認識して、意見を持ってましたね。受身系ではいつまでたっても受身系の人間ですよね。教育委員会は、『先生がしっかりやってると信じてたから。。。。』って何のための教育委員会???信用しててほったらかしなら、解散して欲しいと私は思いました。今まで3年間頑張って勉強してきて、これから最後の追い込みのスケジュール組んでた生徒達の努力をなんだと思ってるんでしょうね?こんな時期になって、卒業あぶないとか、冬休み登校とか。。。先生達が考えていたことは生徒のためじゃなくて、合格率をあげる=自分の教師としての点数を上げる=学校の名前を上げることだったのかと、不信感さえ覚えますね。。。

この子達の努力が報われ、希望校に入学して、20年ぐらいして『いやぁ、あの時はあせったなぁ』と笑い話ぐらいになればいいのですが。。。

投稿: popoco | 2006年10月29日 (日) 16時18分

popocoさん、コメントありがとうございます。
日本という国は、アメリカの本当に良いところを取り入れず、自国(政府や大きな会社など)に都合の良いことだけ、もしくは自分達にだけ都合良く解釈して取り入れることしかできないのでしょうかね。
日本の教育システム自体をもっと考え直さなければならないのでしょうね。果たして、「教育再生会議」は何か名案を出してくれるのでしょうか。
昔から言われてました。日本は大学に入るのは難しいけど卒業するのは簡単。良い大学に入るのが決してゴールではない。ちゃんと勉強して卒業することが大事。卒業しても社会に出てもなお、勉強は続くのです。そういう意味で自ら考え、何がしたいのかを自分で選択できる自主性のある人間を育てる、そういう教育でなくては、日本は自滅するのでしょう。
それを行政(教育委員会など)も現場(学校)も、そして保護者も生徒も考えないといけないのでしょう。

投稿: たけpon | 2006年10月29日 (日) 23時55分

思考には過去のデータが必要であり、生きるためには先を読まなければならない。民主主義においては選挙という思考の結果が求められる事象が必須なのだから、歴史を知らないということは自殺に等しい。他から見れば殺人である。
明治の頃は欧米追随が必修であり、国難回避の為の教育システムとして大学が存在した。順番から言って、他国の最新技術を獲得するための英語であり、兵器製造のための数学、科学、物理学の履修であった。故に{これはナンデスカー?}これはペンです。式の英語学であり、原理を飛ばした数学だった。その結果イマダにジャングルジムの下敷き外国人を救えない英語力なのだ。戦後、歴史認識問題は近代史を封印してしまった。近代史、つまり、今、から遡らなくて、どう、歴史を教えることが出来るのか?可能な限りの解釈、考え方を示せば良いのに手抜き、手抜き、手抜き、。安易に戦前体制の受験システムに甘んじている。
社会生活に役に立たない因数分解、数学定理、。kyouyouとして必要ならこそ、歴史を学ぶ事が大切なのでは無いのだろうか。
簡単なことをコムズカシク書く技術。アゲアシトリの技術、磨いて
卒業、一流大学。良い機会なので、皆さん考えましょうねー。

投稿: ジーク | 2006年10月30日 (月) 11時03分

ジークさん、コメントありがとうございます。
いやぁ、私はそこまで歴史を重要視して履修したわけではないので…反省ですね。
ただ、近代史はきちんと整理するか、もしくはジークさんの言うとおり、可能な限りの解釈、考え方を示すことが必要なのでしょうね。
数学…、確かに因数分解などは、通常の社会生活や日常生活では必要ないでしょうが、「数学」もまた必要な学問ではあると思っています。
ただ、今になって思うのは、高校生の時ざっとしかやらない「確立・統計」関連の科目を、もっとしっかりやってくれれば、社会生活・日常生活、それから私の現在の仕事に役立ったのにと思います。

投稿: たけpon | 2006年10月30日 (月) 22時45分

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