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2006年11月29日 (水)

お風呂

双子達は幼稚園から帰ってきたら、すぐお風呂なので、平日は妻がお風呂に入れる。と言っても、妻はまだ家事がたくさん残っているので(と言うか、双子達が帰宅してからの方が家事本番か…)、服を着たまま、子供達の身体と頭を洗って湯船に入れるという作業をする。

最近は休みの日も、夫婦の仕事の役割分担で…、「子供達を風呂に入れる」or「料理&皿洗い」の選択に、夫婦二人とも迷わず、妻は「子供達を風呂に入れる」、私は「料理&皿洗い」を選ぶので、しばらく私は子供達をお風呂に入れていなかった。
妻は、「料理&皿洗い」をするより、慣れた「子供達を風呂に入れる」方が楽だという。私はもちろん毎日風呂には入るが、基本的に自分一人でも風呂に入るのは面倒くさがりの方なので、まして子供達の身体や頭まで洗ってやるなんて面倒でたまらない…それより「料理作って皿洗い」した方が楽だと思っている。この点で二人の利害関係は一致しているのである。

学会等も終わり少し仕事が落ち着いたので、久しぶりに私が子供達とお風呂に入った。
双子達の身体と顔、そして頭を洗い、湯船に入れる。そして、自分の身体等を洗う。その間、双子達は仲良く湯船の中で遊んでいる。最近ではおもちゃもいらずに、ポケモンごっこだの、ボウケンジャーごっこなどして楽しそうだ。以前は、自分が洗っている間におぼれたり、滑って頭打つんじゃないかと心配だったけど、お風呂入れるのも楽になったものだ。

そして、私が洗い終わると、子供達を湯船から出し、タオルで身体を拭かせる。以前は3人で湯船に浸かっていたが、元々身体のでかいお父さんと、最近身体だけは成長した双子達の3人が、アパートの狭~い湯船に入ることは厳しくなってきたのだ。
KO君はさっさと湯船から出てタオルで上手に身体を拭き始めた。
しかし、TO君は「いっしょに入る」と言って、私とお湯に浸かった。隣どおしと言うより、私が湯船に少し寝転がるように入っているお腹の上に、TO君もラッコ状態で浸かる。とても気持ちよさそうに…。

あとどれくらい、一緒にお風呂に入るものかわからないけど、できるだけ、入るようにしようかなと思う。

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2006年11月28日 (火)

妻の苦悩(2)…1年後

ほぼ1年前に、TO君は、自閉症(広汎性発達障害)の診断を受けました。
その時の妻の苦悩は、お父さん子のTO君が、自分の言うことを聞かない、自分に甘えない、お父さんでないと嫌だと泣く・愚図る…、それにどう対処していいか、今後どうしていいのか、どうなっていくのかといった不安だったと思います。

私のblogを読んで、妻のことを、料理も作らない、弁当も作ってあげない、とんでもない奥さんだと誤解を招く方もいらっしゃるかもしれませんが、それは単なる私のウケねらいの記事なのでくれぐれも誤解をされないように…。
妻は本当によくやってくれています。だいたい家事も外での仕事も、家事の役割分担も、得意な方が得意なことをすればいいと、私は思います。

妻は、朝早起きするのが苦手なのもありますが、とにかくその日のうちに子供達の汚れ物の洗濯など済ませないと気がすみません。更に、TO君が幼稚園で何か問題を起こすたびに、幼稚園宛ての手紙を書いたり、TO君(もちろんKO君も)の育児日記(blogとは別)を記録したり、療育や相談のための準備をしたりします。
そして、TO君が日常生活や各種行事で支障があることなど(着替えや食事が遅い、運動会等行事 etc.)で、見通しやスケジュール、順番がわかるように、視覚支援の道具を作ったりしています。私達も、なかなか物事が進まないTO君を見ていると、機嫌がいい時はやさしく接しますが、どうしても体調や機嫌がよくない時にはいけないと思っていても、ついつい大声を出したりして怒ってしまいます。私達も怒るのも嫌だし、TO君も怒られたくはない。このような中で、妻は何かこうしたらTO君が理解してくれるのでは?と思うと、すぐに何か作って試そうとします。この日常生活をスムーズにする道具があることで、私達もTO君を怒る頻度がかなり減りました。
その妻の努力のおかげで、TO君は以前と比べ自宅では、かなり安定した生活を送っていると思います。そして、妻(お母さん)への信頼感から、1年前のように「お父さんじゃないとダメ」なんてことはなく、それよりお父さんに怒られたりすると、以前はお父さんに許しを請うように泣きついてきたのに、最近ではお母さんのところに逃げていくようになりました。
しかし、その努力をするあまり、妻はだんだんと夜遅く…と言うか、ほとんど明け方近くに寝付くことが多いのです。

朝起こすと、もうとても辛そうにしています。私はとても妻のことが心配で、とうとう「自分の身体までおかしくして、倒れたらどうするんだ! 家族4人でいつまでも一緒に暮らすことの方が大事だぞ!」と言いました(ケンカしたわけではありませんが…)。
すると、妻は言いました。「あなたがblog(1)(2)(3)に書いていたけど、“障害受容”の問題なのよ。半年、1年待ってもいいから、(北海道大学の田中康雄先生のような)専門家にTO君を見てもらって、『お母さん、大丈夫ですよ』って言ってもらえるなら安心するかもしれない。だけど、今、TO君にもっと何かしてあげたら、もしかしたらもっと成長するかもしれないって考えたら、何かしないでいられないのよ。現状のTO君を受け入れる…それはそれでできているつもり(=“障害受容”しているつもり)、だけど、今、自分にできることがあれば…と思ってしまう。」

妻の気持ちはよくわかります。
もちろん、今住むこの地域の中で、「ことばの教室」の言語聴覚士の先生、それから先日からもう一つ「ことばの教室」に月1回土曜日に通うことにし、以前からお世話になっていた言語聴覚士の先生に再びお世話になることにしました。また、養護学校の就学コーディネーターの先生にもTO君を見ていただいています。そして、地域の障害児相談サポートセンターのコーディネーターの方への相談や、発達障害支援センターの巡回相談にも行って、「お母さん、よくやってますね。」とおっしゃっていただいています。療育ではありませんが、週1回の音楽教室にも行っています。それぞれの先生方には本当にお世話になり、よいご助言・アドバイスをいただき、どれだけ助かっているかわかりません。
半年後、1年後にとても有名な専門家に見てもらったからと言って、TO君が飛躍的に成長するわけでもない。それより、身近に本当にTO君を支援してくださる方々のお力を借りて、私達夫婦共々、一緒にTO君の成長を支援していく方が断然いいに決まっている。そんなことは妻もわかっているのです。でも、それでも妻は不安で仕方ないのです。
これが、診断から1年経った、今の妻の苦悩です。

私は、いくらTO君のことを考えていると言っても、職場に行って仕事している時は“お仕事モード”です。2つのことは同時に考えられませんから、やっぱりTO君のことはどこか頭の隅にやっています。それは仕方のないことです。つまり、私は家にいる時は、TO君のこと・家族のことを考えていますが、仕事に行った時には、切り替えざるを得ないのですが、職場に向かうと同時に気持ちや考えてることの「切り替え」が効くのです。
しかし、妻はいくらTO君とKO君が平日幼稚園に行ったからと言って、日常生活の場で家事等をすることになり、そこにTO君、KO君がいる状態を容易に想像することができ、ついつい、「こうすれば…」とアイデアが浮かぶと何かせずにはおれないのです。そう言う意味で、「切り替え」が効かない状態で、終いにはエンドレス状態になるのでしょう。子供達が寝静まった夜中も、お風呂に入る面倒さと、一人になれる心地よさの中で、何か良い情報はないかとネットをさまよったりして、また、明け方近くになるという悪循環をくり返しているようです。

しかし、もう限界のようです。昨日も早めに寝て、今日も私より早く、双子達と一緒に寝ました。できることは私もしてあげたいと思うし、話も聞くつもりですが、お互いもう若くはありません。妻が倒れたりしたら、それこそたいへんだし、TO君にとってもKO君にとっても寂しいことになります。妻には自分の身体を大事にしてもらいたいと思います。

それと…、朝型にしましょうよ。そして“ここまで”という時間割作りしましょうかね。

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2006年11月25日 (土)

勤労感謝の日

23日は「勤労感謝の日」でお休み。
24日、双子達の幼稚園の連絡帳に、この勤労感謝の日にちなみ、「お父さん、お母さんへの感謝の意味もこめ子供達に、お父さん、お母さんが何の仕事をしているか聞いてみました」という記事が掲載されていた。ちなみにどの子が何と答えたかは書いていない。

お父さんは? の答えに・・・

「しょくば(職場)」・・・KO君だろ、この答えは! いつも「職場行って来る」と言うからなぁ。

「ガンダム買ってくる」・・・TO君だ! ぜったいこの答えは! こんなこと幼稚園で言うなよ。恥ずかしい。

お母さんは? の答えは・・・
KO君は、「洗濯」と答えたらしい(ちなみに、お父さんは「料理」と言ったとも・・・)。
TO君は、「家で・・・」 どうした? とりあえず家事をしてるってことかな。

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2006年11月22日 (水)

お弁当

今週から職場にお弁当を持って行っている。
もちろん私が作ったお弁当。妻はTO君の療育等でお弁当なんか作っている状態ではないし、子供の夏休みのお弁当だって、死にものぐるいでやっと作ったのだから、通常モードの私に作ってくれるはずはない(←別に妻に不満があるわけではないんですよ。妻はよくやってくれてます。一応フォローしときます)。

実は今年の4月くらいから、弁当持参計画はあった。双子達ももう幼稚園でお昼いないから、職場で食べて忙しい時には仕事でも片付けようと考えていたのだった。ちゃんと新品の弁当箱まで買ってあった。しかし、例の胆石さわぎ…胆石症にはおかゆということで、職場は近いので相変わらずお昼も帰って食べていたのだった。

最近、学会発表等準備で忙しかったので、職場に運んでくれる仕出し弁当を毎日食べて、お昼休みも仕事をしていた。しかし、さすが田舎の弁当(食堂がやっているもの)、1食500円もする(他にライバルがいない)。月にしたら1万円も昼食代にかかってしまう。それも曜日毎のメニューは完全固定。…ということは、月曜日のメニューは同じものを次週の月曜日も、その次の月曜日も…永遠と食べ続けることになる。まぁ、どんなに頑張っても1ヶ月も食べ続ければ飽きるだろう。
来春、新居が出来れば、約40分かけて通勤することになり、昼食をどうにか考えなければならない。月1万円を自分の小遣いから引かれるのは辛いし、かといって家計は新居のローン地獄でそれどころではない。そこで、延びていた弁当持参計画が復活! 今から自分で作ることを考えようと思いたったのだ。おそらく経費は1/4~1/3で済むはず…。

まだ2日しか続いていないのに、こんなことblogに書いていいかなぁ。…と思っていたら、昨日は弁当箱を職場に忘れて持って帰っていない。あ~ぁ、3日坊主にもなれやしない…。まぁ、また頑張ろう! 学生時代も大学に弁当持って行っていた私なので、それほど苦にはならない…というより楽しいかも…。

うちの双子達…、お父さんが作った弁当のおかずを朝チェックする。そして、「シート持っていくの?」「誰と座るの?」「誰と食べるの?」だそうだ。お父さんは遠足に行くんじゃないって!
ただ、お昼の間少しの時間でもと思い、緑豊かな森林公園のウォーキングは始めた。痩せやしないだろうけど、体重の現状維持と少しでも健康状態に近づけるため…かな。1日でも長く生きて、TO君を行く末を見届けなきゃ…ってすぐにでもどうにかなりそうな感じ?(とりあえず今のところ命に別状はないけど…)。

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2006年11月21日 (火)

人を使うということ

「人を使う」…たいへん傲慢な言い方に聞こえます。私は、その言葉自体も、実際人を使うこと自体も、あんまり好きでもないし得意でもありません。
でも、私達は仕事柄「人を使わなければならない」ことが多いです。

私の職場は、いわゆる試験場と呼ばれるところですが、試験・研究の補助をしてくださる別団体の研究補助員の方がいらっしゃいます。別団体と書きましたが、今年度から「指定管理者制度」という訳のわからない制度のせいで、その団体との関係が微妙になり、仕事がしずらくなっているのは確かです。何でもかんでも一律制度を適応すればいいという考え方は止めていただきたいものです。…今回、その話は置いといて…。

私達の仕事は、この別団体の研究補助員なしでは考えられません。きつい作業、あまりきれいではない作業、細かいデータ収集、単純作業などなど、本当にお世話になっていて、私達が研究室で落ち着いて試験設計を考えたり、データをまとめ分析したり、先日あった学会での発表やその他出張、会議、そして時々休暇をとることができるのは、この方々がいらっしゃればこそだと、いつも感謝しています。学会での発表や論文の「謝辞」で、皆さんの名前をお一人お一人書きたいと思うくらい感謝しています。

先週17日(金)、学会の振替でお休みをとった日、この日もいろいろと補助員の方々にお仕事をお願いしておりました。
そして、19日(日)…いつも土・日のどちらかは私が担当している生物の収穫・データ測定のため、数時間ほど出勤します…、お願いしていたはずの作業が途中の状態のままになっていました。作業自体を言葉にすると、何の生物かわかってしまうので、あまり細かいことは言えませんが、とにかく、この状態は試験設計を完全に台無しにする状態でした。その瞬間、かなりのショックと怒りを感じたのは間違いありません。 幸い?なことに、今回のこの試験は予備的な試験でしたので、学会で発表するとか、業務報告に載せるとかいうものではありませんでしたので、それほど支障はありませんでした。

しかし、そうだからと言って、「いいよ、いいよ」と言うわけにはいきません。もしも大事な試験だったら取り返しがつかないのです。日曜、帰宅してから本日(月)まで、研究補助員の皆さんに何と言おうか、悶々としていました。
“ガツン”と怒ってしまえばいい…、自分がそうできる人であれば楽なんですけどね。日頃、本当に一生懸命仕事してもらっている方々に、1度の失敗でそんなに怒ることなんてできないんですよね。

ただし、研究補助員のメンバーにはいろいろあり、ベテランで本当に頼りになる方もいれば、一生懸命なんだけどちょっと大雑把な方もいる。何でも積極的に仕事をする方もいれば、そうでない方もいる。
やはり、「きちんと言うべきことは言わないいけないこと」もありましたので、この際だとばかり、「お願い」と題して、日頃作業やデータ測定などをしてもらう際の注意点などを書面にし、再度確認することにしました。そして、今回あったような失敗が二度とないよう研究補助員のメンバーでも話し合って欲しいと伝えました。

言わなくてもいいことは言いたくない…、自分も嫌われたくない、誰もそうなんでしょうけどね。言わないといけないことは、言うべき立場の人が言わないといけないのでしょうね。今回の場合、自分の仕事のことでもあるし、自分が言わないといけなかったのです。
私は「外面(そとづら)良男(よしお)」君なので、妻には「あなたは私には、嫌味上手なのに…」と言われそうですが、あまり嫌味な言い方はしなかったつもり…です。 どうだったでしょうかね? 信頼しているM.K.さん?(ここは個人に語ってます)

「人を使う」・・・辞書を引いてみました。すると、次のような言葉が見つかりました。

「人を使うは苦(く)を使う」
人を使うのは苦労が多く大変であるということ。(goo辞書検索引用)

本当に大変なことです。実感です。

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2006年11月19日 (日)

双子の名付け

私が読んでいる blog 『えくぼ通信』 に赤ちゃんの名付けについての記事がありました。前々からこのことも記事に up したかったので、今更ながらですが、うちの双子の名付けについて書こうと思います。

でも、この blog で私本人も含め、どこの誰それか公開してないので、私をご存じの方は良いですが、それ以外の方は申し訳ありませんが想像して下さい。

妻のお腹に双子がいることがわかり、うれしくていろんな人に話していたら、ある人に「双子らしい名前にしなよ。」と言われました。「双子らしい」ねぇ。そうだなぁと、いろいろ考えていましたが、なかなかいい名前が浮かんできません。ぼんやりと、(欽ちゃんの番組であった)「のぞみ、かなえ、たまえ」みたいな名前付けられないかなぁなんて考えていました。でも、「のぞみ…」は女の子の名前、まさか、「良男、普男、悪男」じゃないし…。←「お前はバカか?」と突っ込まれそうですが、本人大マジメです…。

いろいろ考えたあげく…、二人とも名前2字(私が1字でバランスとりにくいので、名前2字は決めていた)のうち、1字は同じにしようと決め、まずその1字を何にするか悩みました。
“悩んだ”と言うわりには、私の中では“これしかない”という感じで、ある1字が思い浮かびました。私達夫婦にとって8年も待ち、やっと授かった我が子に対する素直な誕生の喜びと、二人の人生の中で何があっても諦めず力強く生きていって欲しいという願いを込め、そんな1字を決めました。

じゃぁ、その字に何をつけようかなぁ。
もう1字も、漢字のもともとの意味と名前にした時の音の良さから決めました。もちろん一応、姓名判断の本も読んで悪くないものを選びました。
一人(KO君、一応兄)は、何事にも向上心を持ち、努力していって欲しいという願いを込めた1字。
そして、もう一人(TO君、一応弟)は、何事にも勇敢に立ち向かって欲しいという願いを込めた1字を付けました。

双子のため管理入院でベットに寝ている妻に、「双子らの名前、これでいいかな?」と、半分「これ以外にはない、考えられない」状態で、私のほぼ独断で決まりました。
妻には、本当は付けたい字(というか、音=読み方)があったのですが、私の方の家庭の事情であえなく却下されたので、半分「何でもいい」ような感じだったのでした。

特にTO君の1字について、昔、SMAPの草なぎ君が教師役をしていたドラマのセリフで、子供達に「一人でも生きていける勇気を持とう」みたいなのがあって、その言葉が私の心に残っていました。
TO君には、もちろん私達夫婦、KO君を含めた家族、そして周囲の理解ある方々のサポートが必要だけど、障害のこともあり、本当に「一人でも生きていける勇気」が必要かもしれません。別に意固地になってまで…という意味ではないですが気持ちの問題です。

KO君もTO君も、下を向いて歩くのではなく、自らの力で向上心を持って、何事にも前向きに臨んで欲しい。決して自分より弱い者を作るのではなく、もし弱い者がいたら助けて欲しいし、いじめなどにも屈しない(もちろん何かあったら私達親に相談して欲しい)、時に一人でも生きていける勇気を持って生きて欲しいと願っています。

私としては二人の名前はかなり気に入っています。でも名前負けしなければいいのですが…。
折しも草なぎ君が、ドラマ「僕の歩く道」で自閉症の青年を演じている…らしい?ですね。

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2006年11月18日 (土)

この時期は鬼門?

毎年、10~11月は、私の仕事がとても忙しい時期…。
来年度の予算編成や、職場のイベント、そして先日あった学会と、この時期、何だかんだと行事や仕事が立て込んでいる。

持ち帰ってできる仕事なら、そうしないこともないが、予算のことなどは今日言われて、今日の午後5時までとか、明日中に提出とか平気で指示されるし、イベントの準備や試験のデータ測定等は、どうしても職場でしなければならない。必然的に残業する日が多くなるし、例え、仕事を持ち帰ったとしても、双子達をほったらかして仕事をすることもある。

いつもの年なら、10月の双子達の誕生日に併せて妻の両親が来てくれて、双子達の相手をしてもらうので寂しくないだろうが、今年は私の胆石手術のため夏に来てもらったので今秋は来てもらっていない。

ただ、毎年それでもお父さんが不在がちのこの時期は、特にお父さん子のTO君にとっては不安で仕方がないようなのだ。昨年もこの時期、KO君とTO君はよくケンカして、あんまりひどいときは、じいちゃんからも怒られていた。
今年も、とにかく帰宅時間が遅くなると、不安で仕方ないのか、幼稚園から帰宅後ずっと、「お父さんは? お父さんまだ? ねぇ、お父さんは?」と妻に聞いていたそうだ。
最近KO君と仲良く遊ぶようになっていたのに、何かって言えば、KO君とおもちゃの取り合いをしたり、遊び方などでもめるようにもなる。そして、一人で出来るようになっていたことまでも、出来なくしてしまう(能力低下)。おもちゃの片付けなども全くすすまない。着替えもダメ。

忙しいと言ってもあんまり遅くなると、寝かせつけるのが遅くなるので、何とか早めに帰ってくる。しかし、私が帰宅して素直に甘えてくるかというと、そうではないのだ。甘えてくるのはKO君の方で、TO君は「別にお父さんなんか興味なし」みたいな態度、自分が熱中していた遊びやお絵描きに夢中なのだ。そして、いつもは何かと「お父さんと○○する」なのに、目の前に私がいるのに、「お母さんと○○する」なのだ。完全にスネた態度に出る。
大人げないお父さんは、これまた「ふん! 甘えてこない奴はしらない」という態度。いけないとはわかっているのだけど、“ちゃんと”しない・できないTO君をついつい怒りがちになり、TO君は更にスネ、その悪循環に陥ってしまう。
まずいですねぇ。この悪循環…。

しかし、TO君の心の不安定さは、こういうところまで影響するのですねぇ。・・・ということは、昨年の今頃は、妙な言葉を口走ったり、KO君をたたいたり噛んだり、自分の頭をたたいたりと他傷・自傷行為が多発していた。この時のTO君は不安で不安で仕方なかったのだろうなぁ。TO君の心の中がどんなものだったのだろう、障害というものがあるがゆえにこのような不安や行為にいたってしまうと思うと、とても不憫で仕方がない。
わかっているなら、大人らしく理解して対応してやれ! はい、わかりました。

それでも今年は、妻がTO君の信頼を得たので、何とかなっていると思う。最近はよき理解者「お母さん」をかなり頼っているようだ。良かった良かった。

何とか、私も仕事が一段落つき、昨日はゆっくりできたので、今日の休みからまた、TO君、KO君との関わりを増やそうと思う。

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2006年11月17日 (金)

お休みです

今日はお休みをとり、ゆっくりしています。

今日のお休みは、先日の学会が土曜日開催だったので、その分の振替分です。
本日締め切りの投稿論文の原稿も、昨日書き終え、今日ちょうど出張で投稿先まで持っていってくれるという職場の方にお願いしました。
本当は今回の論文投稿は、「見送ろうかなぁ」と少し弱気になっていたのです。それは数ヶ月前試験のサンプルを早めに計画的に準備していたのですが、ある事故によりそのサンプル全てが使えなくなってしまいました。それからまた初めからサンプルを準備したり、本試験をしたりと何とか学会発表ができる状態までデータは揃えたのですが、論文投稿するまでのデータとしてはどうかなぁという気持ちがあって、どうしようか迷っていたのです。

学会発表する前に、共著者(共同試験をしているので、別組織の方)に相談したら、「とりあえず途中データということで、投稿するだけしましょうよ!」と強く勧められ、「やっぱり頑張るか!」ってなことで、気持ちを奮い立たせ書き始めたわけです。
13日(月)の晩、blog(日付変わって14日分)にも書きましたが、その日1時間半ほど寝て、妻に起こしてもらい、その後いっきに書き上げました。そんな夜中に寝ずに頑張らなくても、次の日職場でやればいいと思うかもしれませんが、職場ではいろんな雑用が舞い込んできて、論文など、ある程度集中して書き上げないといけないようなものは、とても進まないのです。案の定、この日も別の所属から問い合わせの電話など、いろいろありました。
書き上げた!と言っても、まだ少し足りないところとかがあったので、雑用の合間に少しず加筆しながら何とか夕方までに形を整え、共著者にメールを送りました。

もう年ですねぇ。昔は(って何年前?)徹夜しても、そりゃきついのはきつかったけど、次の日ちゃんと寝れば大丈夫だったのに、数日間、この寝不足のきつさが残りました。もう無理は利きません…。

15日は共著者からの返事なし…。忙しいのかなぁ?それとも出張かなぁ? ただ待っているだけでは仕方ないので、自分は自分なりに校正します。やっぱり読み返すと、意味が通じなかったり、表現のおかしいところ、もっと工夫した方がいいところがあります。それを修正し、また夕方に共著者にメールしておきました。
16日午前…、まだ返事が来ません。ん~、だんだん焦ってきました。少々の修正ならいいですが、ほとんど「書き直し!」ってな話になると間に合いません。とうとう午後から電話しました。
そしたら「今、メールの返事書いてます。1時間以内には送れますから…」。そして、「だいぶん、(論文の書き方が)上手になりましたねぇ。ほとんど直しはないんですけど、細かいところをいくつか書いて送りますね」。
…、はっはっは! 上手くなったですか…それはありがとうございます。でも、今までひどかったんだろうなぁ。ぐさりっ! まぁ、でもこれも勉強です。書かなきゃ上手くはならない。頑張ろう!
数十分してメールを確認したら、返事が来てました。電話のとおり、本当に細かい点だけの修正で良く、ちょちょっと修正して必要部数をコピーして持っていってくれる職場の方に預け、無事論文投稿も終わりました。

もちろん、これで最後ではありません。1ヶ月後くらいでしょうか。その間に審査者が論文の内容や表記・表現のおかしいところをチェックしたものが戻ってきます。その修正がまたたいへんかもしれないのですよねぇ。それもあんまり期日の余裕がない時が多い。ひどいときは、12月28日(仕事納めの日)に戻ってきて、提出期限が1月4日(仕事始めの日)だった年がある。それは正月休むなってことか!って感じでした。

実は、昨日(16日)の晩は、久しぶりに職場の飲み会でした。論文投稿も無事終わったところで、一息つこうと今日(17日)は休みをとったわけです。
もちろん双子達は幼稚園に出しました。
今日は本当にゆっくりしたいと思います。

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2006年11月14日 (火)

無事?終了

今回の○○学会は、地元開催だったので、いつもなら発表のことだけ考えてれば良いのだけれど、発表前日(10日・金)の昼前から総会や講演会の受付にかり出されました。

受付が終わると、私は総会・講演会の写真撮影係、こんなでかい図体の奴に何で写真撮影なんかさせるのだろう。もうちょっと身軽な人にさせればいいのに…。こんなんが会場をあちこちしたら、それだけで目立ってしまう…。

10日の夜は、翌日発表と言うのに、数人で食事ついでに久しぶりの繁華街へ…。
これまたよせばいいのに、ビールも結構飲んで、焼酎も飲んで…。
案の定、11日・当日の朝は「頭痛~い」って感じでお目覚めでした。まぁ、吐き気がない分まだマシでしたけど…。

11日、この日も、発表者なんだけど、私達は自分が発表する会場の会場責任者でもあるのです。それで、早朝から会場の準備…。OHPや液晶プロジェクター、パソコン、指示棒、ベルなど必要なものを、タイムキーパーさん(学生のアルバイトさん)とチェックしたり、進行について確認したりしました。
9時数分前、私の進行で発表開始…。だいたい3人発表者に、そのセクションを任される座長と呼ばれる人がいて、私はタイムキーパーさんと、発表時間のチェックと座長さんの交代等、無事発表会が進行されるかのチェック、OHPや液晶プロジェクターの切り替え、スクリーンに正しく投影されているかなどをチェックしていきます。

そして、午前中最後の発表は…、私の発表。
12分発表で、質疑応答3分、合計15分の持ち時間のところ、発表だけでほぼ15分を使い切ってしまった私…。会場責任者のクセに…、時間厳守せんとダメだろう! だいたい練習の時にどんなに早口でしゃべっても13分かかっていたのだから仕方ない。
でも、私を含む発表者のセクションが終わると、その3人の発表に関する総合討論という時間が15分とってある。この総合討論の時間は、私のような発表時間を超過する人のための?時間調整時間にもなる。
結局、この総合討論の時間は私への質問にほぼ終始してしまった。他の2名の発表者の方すんません。
何とか、無事質問にも答えることができ、無事発表も終えました。

午後の発表会もスムーズに進み、5時前に片付けも終了。それから約3時間ほどかかる自宅まで、何とか帰り着きました。
無事終了して、ホッと一安心ですが、今年の学会は疲れました。
しかし、今週は金曜日締め切りの論文投稿が残っています。今週も忙しいです。
今日は徹夜覚悟で…と言いつつ、またblog書いてますが…。

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2006年11月 9日 (木)

準備万端?

blogをしばらく休止と言っておいて、まぁまぁ書いたなぁ。
妻から「私がコメントしてあげようか? “休止するんじゃなかったか?”って…」。

…て笑っていたら、いよいよ今週末は学会発表じゃん!
一応、発表用のPowerPointデータも出来上がった。いつもの年は、OHP(オーバーヘッドプロジェクター:透明シートに印刷されたものをスクリーンに投影する装置)を使って発表するのだが、今年は大会事務局が液晶プロジェクターを各発表会場に準備するとのこと。
ただし、パソコンは各自持ち込みで、そして不測の事態に備えて、OHPシートも別に準備しておくことということだった。

液晶プロジェクターの方がページを進めるのも楽だし、基本的に液晶プロジェクターを使うとして、やっぱり何かあったらいけないし、OHPシートも準備しておくか…と思っていたら、突然私が使っている職場のプリンタが動かなくなった。昨年は同じ学会発表のOHPシートの最後の1ページを印刷したところで、プリンタが動かなくなった。今年は1枚も印刷していないのに…。

普通なら液晶プロジェクターもあるし、もうOHPシートは印刷していかないものだろうか? 不測の事態なんて、そうそう起きやしないだろうし…。
でも、何か心配性な私…。
結局、時間もないので、自宅のプリンタで今、印刷してます…。
妻からインク代の請求です…ちゃんといくらか出しますよ。

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2006年11月 7日 (火)

『子育て学』を高校必修科目に…

私が読んでいるblog…

『奥田健次の教育改革ぶろぶろ部』

上記のような記事がありました。
奥田先生のblogにコメントしようと思いましたが、どうもコメントは受け付けられてないようで、トラックバックはOKそうなのですが、今度は私の方がトラックバックを受け付けてないので、このような記事の形でご紹介させていただきます(勝手に紹介・リンクしていいのかな?)。

詳しくは是非、本文をお読み下さい。他にも教育問題だけにとどまらず、奥田先生ご自身も自分のことを異端だとおっしゃってますが、至極まともなお考えが述べられています。奥田先生は、『自閉症へのABA入門 親と教師のためのガイド』の監訳もされています。私はこの本は途中まで読んでいたのですが、最近忙しくなって途中で止まっています…。

高校での履修科目…、大学受験のためだけでいいわけがありません。だいたい大学受験は本来の勉強と言えるものではありません。高校では、もっと“人が生きていくために必要なこと”を学ぶべきと思います。
その点で、『子育て学』を高校必修科目に…、とても素晴らしい考えだと思います。そこをきちんとしないから、社会でいろいろな問題が起きているのだと思います。

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2006年11月 6日 (月)

障害受容(3)

まだこの話題で書くの?って感じですが…、

「障害受容」ということについて、現在の自分の気持ちを一度整理しておきたかった気持ちもありました。将来、このblogを読み返してどう思うか、変わっているのか、変わっていないのか…。

ただ、今回の記事で、読んでいただいた方にお辛い気持ちを抱かせてしまったのではないかと、少し反省もしているところです。

また更に、今回、同期に声をかけてもらったことを素直に感謝できない自分がいること…、結局普通・健常・メインストリームの子供を持つ人達には、障害を持つ親の気持ちなんてわかってもらえない(当たり前なんだけど…)。そんな気持ちで少しナーバスになっている自分がいることに気付かされました。
じゃぁ、KO君、TO君に障害がなかったら、おまえ(=私)はこの「発達障害」について理解していたか? 障害を持つ親の気持ちなんて考えようとしたことあったか? 同期の者と同じように、ドキュメンタリー番組を見て涙を流し、感動していただけじゃないのか?

そのとおりだと思います。人は結局、自分の身に降りかかったことしか真剣には考えられない。そんな身勝手な(というと語弊はあるかなぁ)生き物なのかもしれません。

ただ、だからと言って何も言う資格はないとは言えないと思います。知った者だからこそ、真実を訴え、本音を訴えていかなければならないのかもしれません。

それで、もう一言。この「受容」という言葉、私はあまり好きにはなれません。
以前、発達支援センターと幼稚園の打ち合わせの時に、センターの方が、「親御さん達(私達夫婦のこと)は障害について勉強されある程度理解されている。私達はこれから親御さん達に“障害受容”という作業を行っていく…」ようなことを幼稚園に説明されていた。
私は傍らで聴いていて、その時は「“障害受容”? ちゃんとできているよ」と思い、「何を言っているんだ?このセンターの人は?」…みたいな本当に安易な気持ちを持っていました。
そして今、先日から書いているように、“障害受容”なんて出来ないと言っている。やっと“障害受容”の意味が少しわかってきたのかもしれません。本当の“障害受容”の定義が何なのか知りませんが、もし全てを受け入れるということであるならば、私には到底できるものではないと思っています。
先日から書いているように、子供の障害を認め、親としてできる限りのサポートを前向きにしていく…そこまでなら“受容”?できますが、「障害があって良かった」とかは思えないし、やっぱり障害はない方がどんなにいいかと思います。
“障害受容”…親にとってはやはり厳しいことだと思います。
ですから、療育等を行っていただく専門家の方々にも、親に向かって“障害受容”を促すことは言って欲しくない。できれば、「子供の障害を認める」、それを理解し共に前向きに生きていく…ということだけの理解だけではいけないものでしょうか。わざわざ“受容”という言葉を使わずにはできないものなのでしょうか。
単なる言葉の問題なのかもしれませんが、何か釈然としない気持ちが、私にはあります。

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2006年11月 5日 (日)

障害受容(2)

「障害受容」について、もう少し書きたいと思います。

私の場合、最初の頃(診断がつく前)は、TO君の障害について“否定的”というか“楽観的”というか…、“昔からこんな子いたよ”という気持ちの方が強く、妻に“そんな気にしなくても…”って感じでした。
ただ診断がついてからは、とにかく本やサイトを読みまくり、必死にこの発達障害と対応について、そしてTO君について理解しようと勉強しました。そして妻と二人で話し合い、TO君への対応を改善したり、新たな試みをしていく中で、TO君の状態も落ち着いてきました。

発達障害についての無知というのは恐ろしいものだと感じています。
うちは“虐待”までには至ってないと思いますが、一歩間違えばそうしていたかもしれない。子供が生まれるまで、虐待のニュースを聴くたびに「うちに生まれてくれば虐待なんてしないのに…」と子を望むあまり安易な言葉を吐いていましたが、今では虐待する親の気持ちも少しは理解(もちろんしてはいけないことは確かですが…)できるようになりましたし、その虐待される子供の中にはこの発達障害が関係しているのでは?…と報道があるたびに何とも言えない悲しみを覚えます。

話がズレましたが、子供に障害があることを認め、その障害を理解し、それに合わせた対応を行って、子供と家族と共に前向きにその障害と子供に向き合っていく…、それを「受容」と呼ぶのなら、私も妻も「受容」しているのかもしれません。
しかし、同期の者が見たドキュメンタリー番組がどんなものだったかわかりませんが、確かにドキュメンタリーに出てきた家族は、“無機質な家族”よりは、障害のある子を家族みんなでサポートする“愛に満ちた家族”だったのかもしれません。しかし、それは子供が健常・普通・メインストリームな状態で、“愛に満ちた家族”であった方がもちろんいいわけで、私は決して子供に障害があって良かったとは思えない。
それは生まれてきた子供・TO君を否定するわけではない…この子が生まれて良かったとは思うし、この子はこの子のままでいいと個性を微笑ましく感じられる時もある。しかし、何か一つでも脳の受け取り方が違うだけで、パニックを起こし、お友達と楽しく遊べない、行事に参加できない、普段はできるのに本番で何もできなくなる…、そんなTO君を見ているとやっぱり障害なんてない方がいいに決まっている。TO君に障害があって良かったとは思えない。それは私も妻も同じ気持ちです。

親はそこまで(子に障害があって良かったとまで)“障害受容”をしなければならないのでしょうか? それを「受容」と呼ぶのなら、私達夫婦はできていません。
私はそれはなかなか難しいことだと思うし、私達夫婦にはできそうにありません。
朝、目覚めて「TO君の障害は夢だった」とか、「もしTO君に障害がなかったら…」、「何でTO君に障害なんかあるんだ」と思うのは、当然の親の心理ではないかと思います。ありのままのTO君しかいない、そのTO君を受け入れていながら、それでも障害がなかったら…と思う矛盾は仕方のないことだと私は思っています。

北海道大学の田中康雄先生も講演でおっしゃっていました。
「私達(先生)が親御さんに『もう受容しましょうよ』と言うときは、もう私達側の方が疲れた時に用いる言葉で、親御さん達の方から『私達は受容しました』と言えるものではない。親御さんは受容なんてできるものではない。」…と。

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2006年11月 2日 (木)

障害受容

今日、私の職場に同期の者が出張ついでに訪ねてきてくれた。うちの職場はかなり辺鄙な場所にあるのでなかなか会うことはない。
こいつは、過日blogにも書いたとおり、同期の中で一番仕事もできると思うし、私も一目おいている存在。

以前、私が出張でこいつのところを訪ねたときに、子供の話(TO君の障害)をしたことがあったのだが、今日も心配して「どんなねぇ」と聞いてきてくれた。
ただ、自らが以前見たという自閉症の家族のドキュメンタリー番組を引き合いに出し、「無機質な家族より、助け合う家族、特に健常な兄が障害を持つ弟の面倒をよくみているのを見て、素晴らしくて涙が出てきたよ。」というようなことを話してくれた。もちろん、私を励まそうと言ってくれたことではある。それはそれでとてもうれしいかったのは間違いないことだ。

しかし…、障害なんてやっぱりない方がいいに決まっている。同様の障害のあるお子さんを持つ親御さんのHPやblogに、「この子が生まれてきて良かった」「この子はこの子のままでいい」「この子が障害を持っていたことで、自分の人生が広がった」などの書き込みを見ることがあるが、もちろん、私達だって、TO君が生まれてきて良かったとは思うし、TO君はTO君だから、ありのままのTO君を受け入れているつもりだ(おそらく、こういう書き込みをする方は、“そう思わずにはやってられない”という意味なのかもしれないが…)。
TO君が障害を持って生まれたことについて、それはそれでその事実を受け入れ、その障害を理解し、障害を持つTO君を理解し、障害に応じた、そしてTO君に応じた対応や支援・サポートをしようとしているし、しているつもりだ。
そういう意味では、「障害受容」をしているかもしれない。

でも、私は「TO君が障害を持って生まれてきて良かった」とは決して思えない。やっぱり、普通だったら、健常だったら、メインストリームだったら、どんなに楽だったか、良かったか、苦しまずに済んだか、将来にいろんな夢を描けたか…と思う。
いや、私達のことはどうでもいい…。一番辛いのは当の本人TO君自身なのだ。本人は、障害を持って生まれたことで、いつか私達夫婦が死んでからも、ずっとこの障害と向き合って生きていかなければならないのだ。
それを思うと、やっぱり、障害なんてない方がいいに決まっている。
そして、そういう意味では、親は決して「障害受容」なんてできるものではないと思う。

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