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2010年9月30日 (木)

告知・カミングアウト…とりあえず今思うこと

前記事と同じ勉強会でのことです。

あるお母さんが、娘さんの虫歯治療に悩んだ末、支援者の方に紹介された歯科医院での出来事を話されました。

その歯科医院の先生は、特にそのお母さんがお願いしたわけでもないのに、娘さんが肌身離さず持ち歩いているお気に入りの人形を、

「ちょっとお借りしていいですか?」

…と言って借りた後、30分くらいして戻って来られたら、その人形を使った虫歯治療のスケジュールを作ってくれたんだそうです。

先生は、その人形を娘さんに見立て写真を撮り、ラミネート加工までして、虫歯治療の段取りを書き込んで、とてもわかりやすい視覚支援スケジュールを作ってくれたのです。

「こういうお子さんには、こういうのが有効なんですよね。」…と先生。

お母さんはとても感激されたそうです。そして無事、娘さんは虫歯治療を終えることができたんだそうです。

実際、そのスケジュールを勉強会に持って来られていて見せていただきましたが、本当にわかりやすかったです。

○○ちゃん、いすにすわろうね。
 ↓
うしろにゴローンするね。
 ↓
いまから、コロコロするね。たのしみワクワク。(=歯のそうじのこと)
 ↓
そうじきでお水をとります。お水が出るよ。
 ↓
うがいしましょうね。ぐじゅぐじゅペー。
 ↓
ねんどつめたら終わりだよ。

…といった具合。

それで、そのお母さんの提案は…、
障害を持つ子供をいろいろな診療科に連れていくのは一苦労。理解を得られないことが多いし、どこに連れて行っていいかわからない。
だから、この勉強会にその歯科医の先生をお呼びして、何がきっかけでこの障害に対する理解を深められたのか、どうやって勉強されたのかなど伺うことができたら…そしてその理解を広げていけたら…というものでした。

基本的にこの提案には大賛成です。
精神科医でもなく、まして小児科医でもない歯科医の先生が、ここまでこの障害に理解があり、一人の子供のためにスケジュールを作ってくれるなんて、すごい驚きです。

しかし…、
うちにとっての驚きは、それだけではありませんでした。
なんと、その先生のご自宅は、うちのめちゃ近所、なおかつ、先生のお子様は、KO君・TO君と同級生なのでありました。

これはちょっと…、いやかなり微妙です。


ここで、記事名の「告知・カミングアウト…とりあえず今思うこと」につながるのですが…、

うちのTO君は、まだカミングアウトしていません。本人にすらはっきりとは告知していません。

おそらく、同級生のご家庭では、「TO君には何かあるから支援級に在籍しているんだろう。」と、うすうすは思っていらっしゃるでしょうが、障害名等をこれから先も含め、積極的にカミングアウトする気はありません。できれば、そんなことをすることもなく、学校生活を送ることができればと期待をしています。

それに、TO君には知的な遅れがあるわけではないので、本人自身が知らないことを、TO君に関わる支援者以外の無関係な他人に先に知らせるべきではないと考えています。
例え、カミングアウトすることになったとしても「障害名」だけが一人歩きするようなカミングアウトはしない方が良いと思っています。

以前、この勉強会でも言ったことがあるのですが、障害名が伝わった時に、それを本当に理解している方が、当事者と直接関わる者(当事者が子供の場合なら、そのお友達)に説明し、わからないことがあったらまた再度説明できる…そんな体制があれば、まだ良いと思いますが、子供達に伝えた場合、「障害名」だけがその子供達の親に伝わることになると思います。基本的に普通の親は、発達障害について無知だと思います。まして「自閉症」と聞いたら、「自分の殻に閉じこもり、他人とコミュニケーションがとれない人」と理解してしまうだろうし、そして子供にどんな“適当な”説明をするかはわかりません。もちろんそういう親を非難しようとしているわけではなく、自分も含めて、もしこの障害のことを知らなければ、そういう理解しかしていないと考えるからです。

とりあえず、現状では、TO君はお友達からありのままを受け入れられています。「TO君は不安が強く初めてのことが苦手。うるさい音や声に敏感で、それで算数は集中できないから支援学級で勉強している。でも、絵が上手で、みんなと仲良くしたい。」…今はそれでいいと思っています。これから先も、お友達に「ちょっと変わってるけど、TO君はおもしろいよね。」…そういう理解のされ方をされたいと願っています。そのように育つように支援していきたいと考えています。

一方、告知の方は、いつかタイミングを見計らってする必要性はあるのだろうと考えています。ただ今のところ、TO君本人が全く自覚してないんですよねぇ(笑)。KO君の方が、「発達障害って、TO君のことでしょ。」とか(TO君にも聞こえるように)言ってくるので冷や汗ものです。タイミングとしては、TO君自身が、KO君や他のお友達と自分との“違い”に気付いた時かなぁとは思っていますが、のんびり屋のTO君にそれもあるのかどうか…。
かかりつけの精神科医の先生には「『適度な自閉』が良い方向で出てるんでしょうねぇ。」と言われてます。

とりあえず、今は、告知やカミングアウトについては、こんなふうに考えています。また、年齢が上がったりしたら変わらざるを得ないところはあるのかもしれませんが…。

TO君の将来像を見極めながら、支援者の方々のお知恵を借りながら、目標に向かって育てていければと想う日々です。

それで前半の話に戻りますが…、
この歯科医の先生をこの勉強会にお呼びする企画…是非、実現することを願っています。
ですが、私たちは上記の理由により、参加はできかねます。
それでも、この勉強会でやる意義は充分にあると思っています。

是非実現して、できれば誰か結果を復命して下さるとうれしいなぁと思います(←うわー、勝手ですね。申し訳ない m(_ _)m)。

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2010年9月18日 (土)

「愛情」という言葉で片づけないで

月1回参加している勉強会で、少し気持ちが「ざわめく」ことがありました。

この勉強会のことは、何度か blog に書いていると思うけど、いわゆる「親の会」のように、障害を持つ子の親だけが集まっている会ではなく、福祉や保育、教育関係の支援者も集い(…と言うか、支援者が主導で立ち上げたもの)、「発達障害」について共に勉強しようという会です。

その勉強会で、今回、私が気になってしまった発言をされた方がいました。
その方にとって、その言葉はそれほど人の気に障るほどの言葉になるとは思ってなかっただろうし、普通に使用する言葉だと思って使われたのだと思います。

私もいつもならスルー(聞き流し)してたかもしれません。


話の筋を書き出すと長くなるので、要はその方が、

(障害を持つ子供を育てるのに親は…)
「先のことを考えるのではなく、今、その時を“愛情”をもって育てればいいのではないでしょうか。」

…みたいな発言されたことに、私の気持ちはざわめいたのです。
その「愛情をもって…」という言葉に違和感というか、どちらかと言うと…、

「その言葉を使うな~!」
…という、“憤り”に近い気持ちを抱いてしまいました。


それは…、

最近、この勉強会の始まりは、参加者各自の近況報告を含めたフリートークから始まることになっており、その時に…、

あるお母さんが、小学校の高学年になる息子さんのことで、「クラスのお友達と問題がありお友達の親に謝罪に行ったら、『愛情が足りない』などと30分間くらい説教され、その時は子供のためにと耐えたけど、その帰りには脱力して悲しんだ。」という話をされたこと。

また、初めてこの会に参加したという若いお父さんが、今回参加した理由を、「就学前の子供のためでもあるけど、自分もイライラすることがあり、自分のためにも来てみた。」という話をされたこと。

更に、この発言された方は、自分の息子さんが障害を持っているということではあったものの、教育関係者でもあったこと。

そして、今回、私がこの会の進行担当者だったこと。


そのようなことから、つい一言、言ってしまいました。
(…あ~、また言ってしまった。また今晩眠れなくなるよ。…いつも勉強会の夜は自分の発言が人を傷つけてないか、言い過ぎてないかなどと反省して、興奮して眠れなくなります。)


息子さんがお友達と上手くいかなかったと言うお母さんは、よそのお母さんに「愛情が足りない」と罵倒されたんです。

就学前のお子さんをお持ちのお父さんは、子育てをする中で、子供への愛情と、子供への接し方、障害に対する受容、これからの対処・進路等に悩み、自分の気持ちも整理できてない頃だと思います。

ただでさえ、発達障害を持つ子の親は、自分の子供の育て方が悪いのかなど、子への“愛情”を他人からだけでなく、自ら責めている場合が多いというのに…、また、ついさっき、そんな話をされた方がいるというのに、「“愛情”があれば…」などと、よく言えるなぁと配慮の無さに“憤り”を感じてしまいました。


その方も、障害を持つお子さんがいるのでしょう? どんなあふれんばかりの“愛情”で子育てされたんでしょうか?

子を持つ親に、表現の仕方はまちまちでも、子供に“愛情”を持っていない親なんて、ほとんどいないはずです。

それもこの方、一応、教育者でしょ。
まさか、何か問題のあるお子さんをお持ちの親に向かって、「“愛情”が足りないんじゃないですか。」なんて、言ってないでしょうねぇ。

“愛情”があれば、発達障害の子供を上手く育てることができるんでしょうか?

その“愛情”ってどんな“愛情”でしょうか?
「何でもかんでも受容できる」…ような“愛情”でしょうか?

逆に、発達障害を持つ子供を上手く育てられていない親には、子供に対する“愛情”が足りないのでしょうか?

私はそうは思いません。
発達障害を持つ子供を上手く育てるためには、その子の特性(得手・不得手、長所・短所、強み・弱いところ)をよく親が理解し、勉強し、その子に何が必要か支援のしどころをよく考えて、過不足なく、「丁寧な子育て」をしていくことが必要だと思います。そのためには知識と技術が必要なのです。そのために努力することは必要だと思います。決して、“愛情”だけでは育てられないと思います。
この努力を“愛情”だと言うのなら賛成しますが、そうでないのなら賛同しかねます。
だから、簡単に「“愛情”があれば…」などと言って欲しくないのです。

この会に初めて来られた親御さんが、「自分の子供に対する“愛情”が足りないのかなぁ…って悩みました。」
…という発言を耳にすることはよくありますけど、

まさか、親の気持ちをわかっているだろう、そして教育者でもある方から、このような言葉を聞くとは思いませんでした。

「愛情があれば」…、子育てに悩む親にとって、酷な言葉のように思います。

それともう一つ、「先のことはあまり考えずに…」もちょっとムカッときました。
先のことをある程度想定して、もちろん、その子供の成長具合にもよりますが、どのような子供→少年・少女→青年→大人になって欲しいか考えて、今の時期に何を教えるべきか、どんなスキルを修得させるべきか、どんな手を打つべきか考えて支援を実行することは、重要なことだと思います。

そういうことが、特に、発達障害を持つ子供の子育てをする上での、本当の“愛情”ではないのでしょうか?

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