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2010年10月12日 (火)

みんなでニホンGO!

NHKの番組「みんなでニホンGO!」…、
最初はあんまり期待せずに、ニュース番組「ニュースウォッチ9」の流れで、TVつけたまま何となく見てただけだったんですが、結構おもしろかったです。

その中で、9月16日、23日にあった、戦後GHQ政策による「日本語ローマ字化計画」、たいへん興味深く見せてもらいました。

とりあえず、私の意見を言わせていただければ、

○ 「日本語ローマ字化」は「No」です。ナンセンス、あり得ません。漢字、ひらがな、カタカナ、外来語が入り交じった、この日本語が全て「ローマ字」で書いてあったって、書きづらい、読みづらい、意味分からない…ではないでしょうか?

○ それより、どうせなら、戦後GHQ占領下の中で、第1母国語を「英語」にされた方がよっぽど良かったのではないでしょうか。日本語をそのまま「ローマ字化」…なんて、そんなバカげたことするより、英語圏にされた方がマシだったと思います。そうすれば、今頃、日本人が英語修得に悩む必要はなかったのでしょうし、研究者としては、最新の論文等を苦もなく、読むことができたでしょうから…(それは本人の努力不足ですけど…)。

 これについては、一応、お断りしておきますが、私が本当に日本語がなくなった方が良いと思っているわけではありません。私は日本語が大好きです。漢字、ひらがな、カタカナ、外来語が入り交じった、おそらく世界に類をみないおもしろい言語です。
 特に、「漢字」は、そのものを見れば、だいたい意味がわかる。読めなくても、何となくどんな意味か表現されている、素晴らしい「文字」だと思います。その成り立ちを紐解こうとすれば、それだけでとても興味をそそられるものだと思います。「ひらがな」も「カタカナ」も、漢字から派生して出来たもの…、それは先人の日本人の感性が生み出した、美しい「文字」だと思っています。私は、小さい頃から書道をしていましたが、漢字仮名まじりの文など、それだけで絵画のごとく美しいものだと思います(もう、あまり筆をとる時間がないので、上手に書けなくなりましたが…)。


GHQが「日本語ローマ字化」を考えた理由に、日本人が漢字を覚える時間と労力を、別の学問に費やせれば、日本人の学力アップにつながるのではないか?…という考えがあったと番組で言っていたと思います。

これを聞いた時、私は、「一般的な日本人の学力アップ云々」ではなく、「TO君のような発達障害を持った人にとってはどうだろう?」ってことを考えてしまいました。

TO君は、学校から毎日するように言われている、「宅習(=漢字の書き取り)」に四苦八苦しながらやっています。でも、やっていかなかったことはないし、漢字もそれなりに何とか覚えていっているみたいです。ただ、確かに漢字を学習する時間を、別の学習…算数等に使うことができれば、もっとゆっくり時間をかけて学習することも可能だろうし、理解度を高めることができるかもしれないなぁと考えてしまいました。
ローマ字だったら、大文字・小文字の別はあるかもしれませんが、26文字だけで済みますからね(英語だったら、もちろん単語として覚えないといけないでしょうけど…。)

でも、まぁ、TO君は既に日本人として私達夫婦の間に生まれてきてしまいました。今、そんなこと言っても仕方ないですけどね。


また、ちょっと別の話ですが、「漢字」のことに関連付けて、以前から書きたかったことにちょっとだけ触れておきたいと思います。

最近、「発達障害」の「害」の字を、「碍」と書いたり、「がい」とひらがなで書いたりする例を良く見ます。

“「害」という字が、障害者が他の人に何か害を与えているみたいで不穏当だ。”

という意見があるのが理由の一つのようですが…、
「碍」については、「障害」は「障碍」と書くのがもともとの意味としては正しいというのなら、どこかで統一して改訂でもしていただければ、それほど文句はありません。

※ 「碍」の意味は、辞書をひくと、「さまたげる」「さまたげ」で、参考で「害」に書き換えることがある…とあります。「害があるもの」という意味ではないようです。

でも、私としては、「障害者」は、この方達が社会で生きていくのに、社会から不当な障害(乗り越えないといけない、じゃまになるもの)を押しつけられている、「障害被害者」だと、「害」の文字を2回使ってもいいくらいだと考えても良いと思っています。つまり、ここで言う「障害」は、その人にあるのではなく、その人が「人」としてこの社会で生きていくために、この社会の中にある「障害物(物理的な物もですが、思想、考え方含む)」という意味だと思うのです。別に、被害者意識を強く持っている…というわけではなく、あくまで、「障害」の対象を何におくかという問題です(インクルーシブ教育にも関連する問題です)。

まして、「障害」を「障がい」と、ひらがなで書くなんてとんでもない。そんなことをしていったら、「障」の字だって、「さわり」があると言う意味でしょう? 最終的には、「障害」は「しょうがい」って書くことになりはしないでしょうか? これでは、何の意味か全くわからなくなってしまうのではないでしょうか。まるで、「日本語ローマ字化」と同じです。

私が所属する地方自治体の障害福祉課みたいなところでも、いろんな意見への配慮なのかもしれませんが、公文書の課の名前は「障害福祉課」のままなのに、文書の本文では「障がい者・・・」と書いてあったりして、「バカじゃないか?」と思ってしまいます。

そして、「障」や「害」のような漢字は山のようにあるはずです。それらの漢字は、それはそれでそれぞれの意味を伴って出来てきた文字です。それを誤解を与えるから使えないと言って、それらをひらがなで表記していったら、将来、日本語は全て(とは言えないかもしれないけど…)、ひらがなで書かなければならなくなるのではないでしょうか?

「みんなでニホンGO!」で放送された、GHQ提案での全国一斉「国語テスト」で守られた漢字…、もっと現代の我々日本人が大切に使っていくべきではないでしょうか(って、そんな大きなこと言うつもりはないし、下手な日本語しか使えない私が言うことではないかもしれませんが…)。

蛇足…ならば英語圏になったら…と、英語で障害者をどう表現するのかと調べたら、「ハンディキャップ(handicap)」「ディスアビリティ(disability)」「チャレンジド(challenged)」…とありましたが、これまたそれぞれ異論反論あるみたいです(英語は更に苦手なので詳細は省きます…)。お国が変わっても、「障害」の取り扱いは難しい…ということなのでしょうか。

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