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2015年3月29日 (日)

学位取得

大学院博士後期課程を無事修了し、博士号の学位を取得することができました。
過ぎてしまえば、アッと言う間? 8年くらい前から目標にしてきたことなので、取得できて良かった…とは言え、もう少し「学生」身分も味わいたかったかなぁ??? こんなことを言うと妻に怒られてしまいます。

久しぶりの学生身分は、まず、修了に必要な単位を取得するため、受講する講義等の登録から始まりました。20数年ぶりの学生身分ですが、今はこの作業を全て大学の専用サイトを利用して行わなければならず、間違えると、修正期間はあるものの、その後一切受け付けられないというシビアなものになっていました。いや~緊張しました。何度も確認しました。
さらに、聞き慣れない用語もあって…、「シラバスを確認して」ってシラバスって何? 私が学生の頃はそんな言葉はなかったように思います。サイトで確認して見ると、講義ごとに概要が示されています。昔はこんなに親切ではなかったよなぁ。

講義は夏季中に集中講義の形で行われました。1講義は4日間くらいの日程で16コマ(90分/1コマ、各教授が1~2コマを担当)を行うパターンで、その後、レポート提出するという形でした。
社会人の身としては、朝から夕方まで、ずっと座りっぱなしで教授の話を聴くっていうのは、思った以上にしんどかった(辛かった)です。それも、半数くらいの教授は「英語」で講義されました。私の専門外の教授ばかりが英語の授業だったので、内容は「ちんぷんかんぷん」です。講義はパワーポイントを使って進められますが、話す内容をほとんど全て英文で書いてあれば、「なんとなく、こんなこと言ってるのかなぁ(ほんの少しですが)」って感じなのでしたが、それもない授業は聞き取れず「ちんぷんかんぷん」でした。これまでの人生、英語は出来るだけ逃げてきた私にとっては、辛い気持ちと反省ばかりでした。
ある現役と思しき学生さん(修士課程から上がってきたと思われる、いかにも若者)に、「今の大学院の授業って、英語ばっかりなの? みんなわかってるの?」って聞いたら、その学生さんは「修士はそんなことありませんでした。僕もわかりませんよ。」と答えてくれましたが、別の学生さんは教授の質問にも英語でちゃんと答えてたし、みんないろいろだなぁと思いました。「どうか、私には質問しないで!」って祈ってましたけど、数回質問されました。ははっ(笑)と笑うしかない??
ある専門の講義では、外部の大学教授が講師として来られてました。講義は基本、日本語でしてくれましたが、講義資料はパワーポイントの日本語版と英語版が配られ、「今日日、博士後期課程で、日本語で講義する大学はあまりありません。」と言われていました。「私は、ここにいていいのか?」とくじけそうでした。

レポートは、もちろん日本語で講義をしてくれた教授の分を選択しました。しかし、短い締め切り期間しかなく、帰宅して、夜遅くからKO君の机を借りてレポートを書きました。幾度、椅子に座ったまま朝を迎えたことでしょう。
レポートの書き方も、決まっているのは「A4用紙に2ページ」とされているだけ。文字フォントサイズ、文字数も指定はありません。章立てみたいなのも特に決まりはありません。単に、「○○○について」書くこと…というお題だけ示されました。20数年公務員してると、その環境に汚染されてます。公務員の世界では「サイズは12ポイント、文字数○○以内、目的、事業内容、これまでの経緯等々」決められていることばかり、その欄を埋めていく作業がほとんどです。
これが大学院の学生というものかと思いながら、図書館や今は便利なネットを活用し、7月末から9月中旬の間に、他の課題や業務もこなしながら、8つのレポートを提出しました。ホントに疲れました。「コピペ」はしてませんよ(笑)。

英語の講義は、わからなければそれまでですが、英語の発表もすることも修了要件でした。発表だけなら練習すれば、なんとかなりますが、質疑応答も英語です。それも2回。今度は専門のことなので、何を質問されているかくらいは、ある程度わかるのですが、それにどう答えていいかが、とっさに出てきません。もう恥をかくだけでした。

9月の上旬には学会での発表もしなければなりませんでした。
ホントにこの間、よく身体がもったなぁと思います。いや、実際には集中講義がなかったお盆の間にとった夏期休暇の間、ぶっ倒れてました。学会からもどった時も、どっと疲れが出ましたね。

やっとのことで修了要件の単位をとりました(でも、全て「秀」でしたよ)が、それだけでは修了も学位取得もできません。学位論文を仕上げなければなりません。
これは、既に4月から準備を少しずつ進めていました。10月くらいまでには一通り書き上げるように指導教授から指導されていて、その通りにおおよそ書き上げてはいました。結構、時間かけて、いろいろ調べ、頑張ったつもりでした。しかし、指導教授から、バッサリ「ここはダメ、書き直し」と1章分まるまる書き直しを指示されたところもありました。とほほ。
12月初旬の提出締め切りまで、この時もまた、KO君の机を借り、眠たくなったら椅子に座ったまま寝て、はたと目を覚ましては論文を書くという生活を繰り返しました。

そうそう、10月頃は、尿路結石にも苦しみました。病院でレントゲンを撮ると、かなり大きなものだったのですが、おそらく、そのまま排出されるから…という医師の診断により、体調不良に耐えながらの論文執筆作業でした。この苦しみには、ちょうど1ヶ月悩まされることになりました。石はやっとのことで排出されましたが、とても、とても、とても痛かったです。しかし、手術を受けることなく、自然排出されたので良しとするしかありません。今年はともかく、手術&入院なんかしている時間はありませんでした。

論文提出後は、査読の始まりです。私の論文を審査して下さる先生方に、論文を読んでもらい、それぞれの先生から御指摘を受け、その御指摘がもっともなら修正していかなければなりません。無理難題をおっしゃる先生はいませんでしたので、修正はそうたいへんではなかったのですが(それぞれの先生に、修正箇所を回答する際は気を遣いましたが)、巻末の引用文献との番号の整合性を保つのは、とてもたいへんでした。EndNoteやMendeley等の引用文献を管理できるソフトウェアの存在を知ってはいましたが、上手く使いこなせていませんでした。論文を書き終わってから、わかってきたかなぁ。また、今後、活用したいと思っています。

論文修正と併せて、公聴会と最終試験が行われました。私が1時間、論文の内容をパワーポイントを使って発表した後、審査者の先生方から質疑応答を受けるというものでした。本番の前日、リハーサルで指導教授にこっぴどく叱られました。理由は、ごもっともではあったと思います。もう少し前にリハーサルしておけば良かったです。前日だと、最低限の修正しかできず、私も何か納得?、いや満足できる発表が出来なかったような感覚が今でも残っています。審査者の先生の一人からは、「落ち着いていて立派な発表だった」とおっしゃってはいただけましたが、ちょっと心残りかなぁ。叱られたことは、良かったと思ってはいます。それも勉強だと思います。あまり完璧は求めてはいけない…そうは思うようにしていますが、おそらく、これからもずっと思い出すだろうなぁ。幼稚園の頃からずっと、褒められたことより、叱られたこと、失敗したことの記憶をずっと引きずってるのです。しかし、これからの研究生活の肥やしにするしかない…です。

やれやれ、これで全て終わったのかと思いきや、これから○○会議や△△会議とやらに2回も、私の学位取得について採決にかけられるのだそうです。最終的な結果が出るのは、この最終試験の約1月後、もう私にも、指導教授にも何もできることはありません。ただ待つのみです。この間、論文の細かい見直しはずっとしていました。いろんな人に見てもらうと、やっぱり違います。自分では正しいと思い込んでいるので、間違いに気がつきません。

2月下旬、ようやく学位取得の合格判定がありました。

それからは、論文の印刷、製本、大学への提出(pdfファイル)など、細々とした作業でした。製本したものは、査読をして頂いた先生方に贈るもので、それと一緒に渡す送り状など、いろいろと気を遣いました。
指導教授の分は、「送り状なんかもらっても、無くしてしまうから、自分の分だけは、製本の見開きのところに2~3行何か書いてくれればいいから。」と言うことでした。2~3行なんてとんでもない。言葉は足りなかったかもしれませんが、この先生への感謝の気持ちを精一杯記させて頂きました。本当に長い間、御指導いただき感謝です。

学位論文の最後には、「謝辞」を記すところがあります。
もちろん、この研究・論文を遂行する上で、お世話になった方々、上記のように研究の指導や論文の査読でお世話になった先生方に感謝の気持ちを記しました。

博士号という学位取得、ただの公務員に必要か?…と問われると、「不要でしょう」と答えるかもしれません。でも、私は今の業務、公設試験場の研究員として、私が担当している対象物の生産に携わっている生産者及び関係者の方々と話をするのに、学位取得も必要であると考えました。研究員であるため、学会で発表することもあります。その際は、他の公設試験場や民間企業の研究者の方々、大学の先生とも話すこともあります。私は、これらの機会に得られた情報を、生産者へフィードバックすることも、公設試験場の研究員の役割だと思います。だから、学位取得を決意しました。

これは表向きの重要な理由の一つです。もう一つは私個人の「挑戦」でしょうか。現役の大学生時代、不真面目だったつもりはありませんが、それでも私にとって大学は、就職するために通る一つの過程に過ぎませんでした。ですので、卒業論文は書くには書きましたが、それは卒業するために仕方なく書いたもので、その内容を研究したいと思ってしたものではなかったと思います。そんな自分が、公設試験場の研究員をやっているのですから、ベースになるものが自分にはありません。出来れば研究員として長く勤めていたいと願う私にとって、学位取得は私個人に自信を与えるための「挑戦」だったと思います。

そして、もう一つの重要な理由…。親バカかもしれませんが、KO君は優秀だと思います。おそらく私よりも絶対「頭が良い」です。計算も速いし、理解力も高い。難を言えば、気が小さく、あまり貪欲なところがなく、とてもおっちょこちょいでニアミスを連発することですが、私がこのままのほほんとしていると、おそらく、そう遠くない時期に抜かれてしまいそうでした。
息子は必ず父親を乗り越えていくべき者、父親は乗り越えられることを喜ぶべきとは思いますが、「超えるべき壁」は高い方が良いと思います。別に将来、博士号を取って欲しいわけではありませんが、タダの大卒ではKO君の「超えるべき壁」としては低すぎる気がしてました。私の超えるべき壁は、低すぎました。…というか、超えようとした気もありません。ただ、平坦な道を歩けばそれで良かったですから…。

謝辞の最後…、こう記しました。
「最後に、家庭を守り、私の挑戦を支えてくれた妻 ○○○に感謝の気持ちを伝えます。双子の息子達 KO君とTO君には、父の悪戦苦闘ぶりがあなた方の人生の刺激になればうれしい。」

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