ある本の序章を読んでいました。
『特別教育を支援する』と題した、その序章には、『インクルーシブ教育』という、聴き慣れない言葉が書かれており、私は興味をひかれました。
『インクルーシブ』とは、『包括的な』と訳せるそうです。
北欧諸国のスウェーデンやデンマークなどでは、住み慣れた地域の学校に、すべての子どもが通えるシステムになっている…そうです。この考え方の前提には、障害のある子どもも、できる限り教育環境を整備して、みんなと同じ学校で遊び、学ぶ権利があるのだという、しっかりとした権利観に基づいている…とのこと、また、障害のある子どもだけでなく、移民や難民で移住してきた子どもなども、差別や選別をしてはいけない。むしろ通常の教育環境より手厚く教育を保障する…のだそうです。
なんてしっかりとした考え方、観念なのでしょう。
『インクルーシブ』=『包括的な』と訳せると書きましたが、実は適当な日本語がない…とも書いてありました。
日本という国は、昔から身分を分け、自分より『下』の人間を作り、自分と違う者を差別し、また、隔離し、排除し続けた歴史を繰り返していると、私は解釈しています。このような国・日本には、『インクルーシブ』という言葉の意味する考え方に該当する概念さえも、持ち合わせていないのかもしれません。
この北欧諸国を中心にした教育・社会の統合化が国連をも動かし、1994年6月にスペインの旧都サラマンカでのユネスコを中心とした教育者会議がまとめあげた『サラマンカ宣言』という形になっている…とのことです。
『サラマンカ宣言』では、障害の有無だけではなく、『特別な教育のニーズのあるすべての子ども』の教育のあり方を、“インクルーシブな教育”という視点から捉えなおし、いちばん教育の必要な子どもに、何を、どう教えていくかが大切なテーマになっている…のだそうです。
そして、2006年12月に国連総会で全会一致で採択された『障害者の権利条約』でも、『インクルーシブ教育』を原則にするよう締約国に求めており、日本政府も批准への検討を進めている…とのことです(2007年5月18日・毎日新聞)。
さて、2007年4月から全国の学校で、従来の『特殊教育』に代わって、『特別支援教育』が実施されています(…はずですよね)。
私は、何か制度が変わる時、実際のその制度変更の良否は別にして、それに携わった“人の想い”が込められていると信じています(…信じたいです)。この『特別支援教育』の場合、文部科学省の担当者の方の“想い”が必ずあったはずです。それが完璧なものか、現場に受け入れられ浸透するかはまた別の問題になるのですが…公務員の仕事は、行政施策等の継続性をうたっていながら、実際はそうはいきません。当たり前ですよね。仕事は“人”がやっているのですから…。せめてあるプロジェクトや制度が軌道に乗るまで担当者を異動させなければいいのにと思いますが…、異動があった方が良い場合もあるから難しいところでしょうか…。異動に限らず、その制度を末端にまで浸透させるには、単に明文化すれば良いだけではなく、理想とされるモデルを作り、それが成功事例として認識され、皆がその効果を実感したいと欲するまで、時間も必要ですし、関係者の努力が必要になると思います。
話が『愚痴ログ』にそれてしまいそうなので元に戻します。
更に、この本の序章には、『特別支援教育』と『特殊教育』の違いについて、いままでの『特殊教育』の(分離・隔離された)“場”から、一人ひとりの“子ども”への支援(通常学級にいる学習困難時の支援も視野に入れている)が、学校教育法の改正によって明確化し、法定化された…という意味のことが書かれてありました。
しかし、残念ながら『サラマンカ宣言』の趣旨とは異なり、改訂前の学校教育法で「第6章 特殊教育」といった分野の、特別な学校や学級の統廃合化が中心になってしまい、すべての子どもの教育のニーズに応じたものではなくなったしまったことも否めず、更なる改善が必要な制度でもある。それでも一歩前進とも言える…と書いてありました。
私も blog の中で、子供達の小学校就学前に、この『特別支援教育』が実施されている(ことになっている)ことに感謝していると時々書いています。“お冠”かもしれませんが、法律に書いてあるのと書いてないのとでは違いますからね。
ただ、この『サラマンカ宣言』の主旨である『インクルーシブ教育』は、これまで日本が行ってきた差別・排除意識を反省し、現在の格差社会を生んだ施策等を悔い改め、共生社会を実現するためにも、できるだけ早期にその考え方を浸透させていただきたいものだと思います。
そして、この本の後、明石洋子氏著の『ありのままの子育て 自閉症の息子と共に(1)』を読み、ショックを受けました。そこには、自閉症児の母である明石洋子氏が、息子・徹之氏を育てるのに、とにかく、通常学級の子供達と一緒にさせることが、成長を促すことにつながるという信念を貫いてきた子育ての記録が書かれていました。徹之氏は昭和47年生まれ。私とそう変わらない年齢です。ということは、私が生きた時代、自閉症に対する誤った認識と偏見、障害者に対する差別の中を、お母さんお一人の力(もちろんいろんな方のお力は得たようですが…)で乗り越えられてこられたのです。まさに“インクルーシブ教育”をお母さんお一人の力で進めてきたようなものです。例によって、私はほとんど泣きながら読んでしました。
こういった本を読んでしまうと、かなり迷ってしまいます。今、私達はTO君を特別支援級の情緒学級への入学を希望しています。
『インクルーシブ教育』、『明石洋子氏の子育て』…それを見習うならば、TO君を通常学級に在籍させ、子供達、学校の先生、そして親御さん、地域の皆さんの理解を得ながら、TO君を他の子供達と同じ環境で学ばせ、遊ばせ、地域社会にも受け入れてもらえるように、私達親も努力しなければならない…。それが理想なのでしょう…か?…。
しかし、やはりこうも考えるのです。
『インクルーシブ教育』…理想です。でも、その考え方を一番熟知し、実行すべきであろう今の日本の学校教育現場で、その理解は十分に得られてはいないはず…。『インクルーシブ教育』…この言葉をどれほどの教員がご存じなのだろうか?(一度、聴いてみたい)。…というか、幼稚園・小学校・中学校教員の養成課程で、『発達障害』について未だに必修でない日本の教員養成課程で、それを求めることさえも無理な気がします(教育関係者にはすみません。現状への嘆きと、これからへの期待を込めてあえてこう書いています)。
『明石洋子氏の子育て』…明石洋子氏はとてもバイタリティー豊かな方のようです(そうならざるを得なかったのかもしれませんが…)。障害児の母親は皆バイタリティー豊かでなければ、立派に障害児を育ててはいけない、母親に全て責任が重くのしかかる、バイタリティー豊かでない母親の子ども(障害児)はまともな学校生活、社会生活を送れない…そのような社会でいいのでしょうか?
私達夫婦は、おそらく、明石洋子氏の子育ての全てはマネできません。もちろん始めからするつもりはないですし、誰も(もちろん明石氏も)そうしなさいと言っているわけではありません。この本を読んで見習うべきところ、共感できてマネできるところはどんどん取り入れようとは思っています。逆に私達にできないことはできないことで仕方ないと思っています。
う~ん、久しぶりに長々と文章を書いてきて、話の落としどころをどこにもっていこうかわからなくなってしまいました。
実は、11月に入ってから、『インクルーシブ教育』という言葉に出会ってずっと、何か blog に書きたくて思いめぐらしていたのですが、毎週出張やら何やらあって、結局きちんと整理がつかないまま、日数だけが過ぎていってしまいました。
明石洋子氏の本についてもです。2冊目の『自立への子育て』も読んでいる途中です。3冊目の『お仕事がんばります』もあります。
実は今度、近くで(いや、結構遠くでかな?)、明石洋子氏の講演会があります。一応、参加の申込はしました。また、実際のお話を聞いて参考にさせていただきたいと思っています。
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