2006年7月 7日 (金)

入院中に読んだ本

入院中に読んだ本を、blog左下欄の「読んだ本・お薦めの本」に追加しました。

『読んで学べるADHDのペアレントトレーニング むずかしい子にやさしい子育て』シンシア・ウィッタム著/上林 靖子〔ほか〕訳/中田 洋二郎監訳

あなたがして欲しい行動をふやすためには「ほめる」。あなたがしてほしくない行動を減らすためには、その行動を「無視する」。「ほめる」ことは実践できそうですが、して欲しくない行動を今していたら、それを「無視する」というのはなかなか難しい…。
協力をひきだすための、よりよい行動のためのチャート(Better Behavior Chart:BBC)はおもしろそう、是非実践してみたい。

『自閉症児のための絵で見る構造化 (学研のヒューマンケアブックス)TEACCHビジュアル図鑑』佐々木 正美監修・指導・文/宮原 一郎画

内容的には小学校就学以上を対象だったようで、うちのTO君にはちょっと早かったようでした。でも、今の日常生活に役立ちそうなヒントもあったので、考えてみようと思う。

2泊3日の入院予定だったので、あまり暇つぶしの本は持っていってなかった。上記のような本を読んでいたら、看護師さんには何している人かと思われていたらしい…。教師か何かと間違えられたかな?

読む本もなくなり、テレビにも飽きたので、病院内の売店へ本を探しに行った。小さい売店なのであまり多くの本は置いていない。職場の同僚が 『ダ・ヴィンチ・コード』ダン・ブラウン著/越前敏弥訳 を読んでいたのを思い出し、「これでも読むか」と読み出した。久しぶりにこの手の本を読んだが(私はこのところ、実用書ばかり読んでいる)、結局、退院するまでに上・中・下巻とほとんど読み終えてしまった。結構おもしろかった。でも私はキリスト教や世界史に詳しくないので、小説の中に出てくる記述がどこまでが事実で、どこからが虚構なのかがわからない。それがわかって読むともっとおもしろいのだろうなぁと思った。わからなくても謎解きやそれに向かっていくスリルはおもしろかったけど…。映画も見てみたいけど、そんな暇ないだろうなぁ。

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2006年6月17日 (土)

本の紹介

blog左下欄の「読んだ本・お薦めの本」に下記2冊を追加しました。
とても簡潔に発達障害について、ケーススタディー的にまとめてあり、子供から大人まで十分に理解できるような構成になっています。読むだけだったら30分もあれば読んでしまえます(もちろんじっくり読んで理解をしていただきたいですが…)。
是非、義務教育課程の図書室に揃えて欲しいと思うし、この本を教材に発達障害について、教室で教師も生徒も考える時間を作っていただけると良いなぁと思いました。
私達も幼稚園でTO君についていただいている加配の先生が熱心にしていただいていて、「何か勉強できる本を…」ということなので、この本(他にも)をお持ちしようと思っています。

『発達と障害を考える本 1 ふしぎだね!?自閉症のおともだち』内山 登紀夫監修
『発達と障害を考える本 2 ふしぎだね!?アスペルガー症候群〈高機能自閉症〉のおともだち』内山 登紀夫監修

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2006年6月14日 (水)

節度ある新しい人間らしさ

マサさんのコメントに、ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんと息子さんの話がありましたので、とても前の記事になるのですが、今の私達夫婦の気持ちに合うので紹介したいと思います。

記事は、2006年4月18日(火)の朝日新聞「定義集」に掲載されていたものです。引用の仕方、私の読解力の無さで誤解があるといけません。もしご興味のある方は、原文をお探しください。

大江氏の長男光さんは、知的な障害を持っていらっしゃる。
氏と光さんは、光さんの肥満と歩行訓練を兼ね、毎日1時間の散歩を行っている。ある日、光さんが散歩の途中、転がっていた石に足をとられて倒れてしまう。
その時に自転車でやって来た壮年の婦人が、「大丈夫?」と声をかけながら光さんの肩に手をあてる。
光さんがもっとも望まないことは、見知らぬ人に身体をさわられることと、犬に吠えられること。氏は、自分が十分に粗野な老人であることを承知の上で、しばらくほうって置いていただくよう強くいう。
すると、婦人は憤慨して立ち去る。
その後、氏は、距離を置いてやはり自転車をとめ、自分達をじっと見ている高校生らしい少女に気付く。その少女は、ポケットからケータイをのぞかせて、氏に示すようにしただけで注意深く見ている。
光さんが立ち上がると、少女は会釈して、自転車を走らせて行く。
氏は、この少女のメッセージを、「自分はここであなたたちを見守っている、救急車なり家族なりへの連絡が必要なら、ケータイで協力する」という呼びかけと言っています。
そして、最後に「不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、私はあの少女の注意深くかつ節度もある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す気がします。好奇心は誰にもありますが、注意深い目がそれを純化するのです。」と結んでいます。

氏ももちろん、「壮年の婦人も評価する人間らしさの持ち主」と断っていますが、私には、氏から「しばらくほうって置いて欲しい」と強く言われた後、憤慨して立ち去る婦人の姿は、やはり自分勝手な正義感やお節介さだけを振りかざし、「私はあなたのことを心配してやってます。助けてあげます。…だから私ってすごいでしょ。いい人でしょ。そう感謝してよね。」という良心の押し売りに思え、そして、それが、私の母の言動、行動とダブってしまいます。
私の母も、「TO君のことを手伝いたい」と言ったことがありますが、自閉症のことを「病気になった(自閉症は病気ではありません、生まれつきの脳の機能障害です。“なった”わけでもなければ、“治る”ものでもありません)」と言い、『精神病は病ではない』という本を紹介する(自閉症は精神病ではありません、周囲の不理解で二次的精神障害を伴うことはあるようです)ような理解のない者に、手伝ってもらうことはありません。そして、私達が「理解する気がないのなら、もう何も言わないでくれ!」と言うと、さも自分の好意を無駄にした、私達夫婦が悪いかのように憤慨するのです。
本来なら、自分の理解のなさ、対応のまずさを反省するべきです。それよりも、自分が障害についてちゃんと理解していないのであれば、「必要があれば、いつでも必要なことをできる準備はありますよ。」と見守ってくれている方(女子高生らしい少女)が「節度がある」のだと思います。

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2006年6月12日 (月)

家族が理解するということ

うちのTO君は、今は、私達両親も障害についてある程度理解し日常生活で対応し、周囲の良き理解者のおかげで、楽しい幼稚園生活を送っていると思う。しかし、これから小学校、中学校と進学や、成人になる時のことを考えると不安なことだらけ。その中で、学校教育課程における保育士・教師が良き理解者になって欲しいということは以前書いた。
それ以前に、身近な家族がこの障害のことを理解するというのが必要であることは言うまでもないことだと思う。

通常、子供と一番接することが多いのは母親になると思う。まず、母親が子供の障害(何かおかしいと)に気付くことになるのだろう。
その時、誰が相談にのるか、まずは身近にいるはずの父親である夫。夫が妻の話をちゃんと聴いてやることが大切だと思う。そして、誰もそうだと思うのだが、「自分の子供に何か障害(らしきもの)があるなんて思いたくない。そんなバカな! 個性の範囲だよ」という考えを少しだけ我慢して、冷静になってみた方がいいと思う。そう考えたいのは母親である妻も一緒、妻だって自らのお腹を痛めた子供を好きで障害者にしたくはない。それでも、夫に訴えている、相談しているのだということを、まず理解してあげなければ、早期に発見できたかもしれない障害を見過ごすことになると思う。

こう言っている私も、最初は妻の言うことを聴いたふりして、ちゃんと理解してやっていなかった。「この子の個性、こんな子昔からいるよ(そう昔からこういった障害で悩み苦しんでいた子供はいたのですね)」。後から考えると、妻が訴えてきた当初からちゃんと私が対応していれば、TO君を怒らずに、叩かずに接することができたのに、そして妻の気持ちの負担を減らすことができたのにと、自分がしてきた言動、行動をすごく後悔している。

そして、子供にとって祖父母等の身近な家族、それが同居か否か、実か義理かに関わらず、子供の母親(及び父親)の苦しみをまず受け止める、そして、見守ることがとても大切で、そうしてくれるだけでもありがたいことではないかと思う。

身内の恥をさらすようだが、私の母親にTO君の障害について理解を求めてきたが、全く理解しようとしない。本人は理解しているつもりだが、自分の思い込みや価値観で私達夫婦にモノを言い続ける。私達夫婦はその言葉にどれだけ傷ついてきたかわからない。障害のことを知らない他人に何か心ないことを言われても、所詮他人なのでと割り切れるが、とても身近な家族に理解してもらえないというのは、とてもはがゆいことだ。それに家族でもこんなに理解してくれないのだから、他人はもっと理解してくれないものだろうと、将来が不安になってしまう。

家庭の事情にもよると思うが、実際、障害のある子供(もちろん健常の子供も含めて)の子育てや療育は両親がすることになると思うし、そうでなければいけない。それでは、祖父母らは何をすればいいのか? まずは、子供を育てている両親、特に母親の苦しみを理解してくれることだと思う。そして、「あなたもたいへんね」とか「あなた頑張ってるわね」とかねぎらいの言葉だけでもかけてあげる。そして、「何か手伝って欲しいことがあったら何でも言ってね」と、いつでもサポートできるという意思表示をし見守ってあげる。それだけでいいのだと思う。

「子供を守ろうとするなら、まず、お母さんを支えなければなりません。(『この子はこの子でいいんだ。私は私でいいんだ』明橋大二著)」です。

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2006年6月 4日 (日)

療育(2)

4月の下旬に発達支援センターの方からテストの結果を聞き、幼稚園への説明もしていただいたが、療育については、結局、幼稚園や自宅での通常の生活の中で進めていくことになっている。
私達が住むこの地域では、TO君程度(一応「軽度」と診断)の発達障害だと、適切な(?)・適当な(?)療育機関がないのが実情らしい。
「ハートをつなごう(NHKの福祉番組)」で提案されている方もいたが、「軽度」だからと言って、そのままにして良いものなのだろうか?(それにTO君の場合、「軽度」だけど、症状が出ると「深い」って医師に言われたし…)。
国や県、市町村は、もっと本腰を入れてこの問題に取り組まないといけない!…と同じ立場の地方公共団体の職員として自戒も含めてそう考える(残念ながら、それを職務として実行できる職種ではないが、何か訴えたり意見が言える機会があればそうしたいと考えている)。

TO君の療育は、月2回の言葉の教室と週1回の音楽教室が外部的なもの。言葉の教室は言語療法士の先生がTO君と1対1で指導してくださるが、音楽教室は特別に療育というものではなく普通の音楽教室。でも、先日一つ上のコースになったのを機会に、音楽教室の先生に、TO君の障害について障害名も含めて説明し理解を求めた。音楽教室の先生も明るくテンポのある楽しくて良い先生で、双子達も気に入っている。ご理解いただけると思ったし、一つ上のコースで段々とレッスンも高度になり何か不都合が出てきてからではいけないと考え打ち明けた。
私達夫婦もこの音楽教室が、TO君にとって何か刺激になればと思い、TO君が嫌がるのでなければ続けさせようと思っている。今日(土)は、KO君は水ぼうそうで行けなかったが、私とTO君とで行って来た。TO君もとても楽しそうに頑張っていた。ただ、歌う時に声量の調整が出来ないのが、やっぱり障害のためかなぁと思ったりする。はっきり言って“うるさい”。他のお母さん方、子どもさん、お願いですから大目に見てくださいね。何かパニクったら教室から連れて出ますから…。

それ以外の療育は、自宅で妻が中心に行うことになるが、自宅での療育はなかなか時間がとれないし、どうしても自分の子どもということで主観的、感情的になってしまう。
ただ、うちの妻は「自閉症児の発達単元267」という本を参考に40項目くらいの課題を日々チェックできる一覧表を作成し、基本的に日常生活の行動の中に療育的要素を取り入れるようやっている(妻はこれを作るのに朝5時までやっていた。妻の努力には頭が下がる。私?、もちろんこの本は…読んでません。だってすごく分厚い本なんですよ…)。
それでも、やっぱり家事や何やかんやでなかなか上手くできないのが現状。最初から全て上手くはいかないと思っているが、あせらず続けることが大切なのだろう。

もちろん何か療育について専門的な機関が身近にあって、そこにだけ行かせたからといって、障害が全て良くなるものではないだろう。基本的に自宅や幼稚園(今後は学校)等日常生活の中で、全ての行動・言動に療育的要素が必要となってくるのだろう(それを考えて日々の生活を回そうとするから、妻も私も、ものすごく気疲れと体力の消耗をきたす…)。
しかし、blog「読んだ本・お薦めの本」で紹介している「自閉症児の学ぶ力をひきだす」に出てくる“教室”のようなところがあれば、是非行かせたいところだ…。

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2006年5月26日 (金)

スペクトラムの意味と願い

自閉症スペクトラム(autistic spectrum)とは…
Wing, L.(1996)が提唱した言葉で、自閉症(カナータイプ、カナー症候群ともいう)とアスペルガー症候群(アスペルガータイプともいう)は、例えば、虹でいえば赤色と黄色のようにまったく別のものに見える、でも実は光という意味では連続的なものだという意味あいで、Wingは対応の方針を決めるうえで大切なのは、「三つ組」の障害があるかどうか(=自閉症スペクトラムかどうか)であって、そのうちのカナー症候群かアスペルガー症候群かを区別することにはあまり意味がないとも主張している
…とある(blog左下欄「読んだ本・お薦めの本」で紹介、「「その子らしさ」を生かす子育て」、この本はやさしい言葉でわかりやすく、しかも専門的に自閉症スペクトラムについての知識と、子育てへの対応、ヒントについて書かれています)。

私も「三つ組」障害があれば自閉症及びその仲間だと理解し、TO君が自閉症なのか、アスペルガー症候群なのかは、特に問題視しなくて良いのだと考えていました。
しかし、やはり「読んだ本・お薦めの本」で紹介している「アクロニムで覚える」を読んで、たいへん参考になりました。
この本では、自閉症スペクトラムには2つの意味合いがあり、例えば光のスペクトラムで近い波長はほとんど似たような色に感じられる連続性があるのと同時に、だんだん波長が違っていけば赤と青に感じられるように、離れた極では質的に明らかな違いが生じる。つまり、一つはアスペルガー障害と自閉症は連続体なのだから、本質的なちがいがないという考え方。もう一つは、スペクトラムの両極は質的にも違うものになることから、やはり両者は基本的に異なる障害だとする考え方。Asperger, H.(1944)が、Kannar, L.(1943)の報告した「古典的自閉症」と多くの類似点と別に、相違点を特徴づけている点から言ってもそのとおりなのだろうだと思います。
このような考え方により、この本では、自閉症には自閉症の、アスペルガー症候群にはアスペルガー症候群の、共通するものについては共通する、それぞれの対応の仕方を「アクロニム(acronym)、複数の単語や短い文などの頭文字をつないで作ったことば」で表現しています。もちろん自閉症と診断されたら必ず自閉症のアクロニムを実践しなければいけないとは、この本も言っておらず、子供にあった方の対応をするべきともあり、その点でやはり、自閉症スペクトラムは前者の意味合い=つまり連続性であり本質的なちがいがない点もあると思います。

話が変わりますが、「メインストリーム」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
直訳すると「主流」という意味になり、「多数派」という意味もあるそうです。つまり、障害のない(ないと思われる)一応健常と判断される人達のことになるのだと思います。
しかし、これは私のちょっとした思いつきで、専門家でもないし、根拠もないのですが、「スペクトラム」の意味を自閉症という障害にだけ適応するのではなく、メインストリームも含めて考えた時(すみません、自閉症以外の障害については考えてません。)、ある一方には健常=正常なものがあって、一応どこかの範囲まではメインストリームでくくれるものの、どこからかグレーゾーンを通って、自閉症スペクトラムに入っていくのではないかと私なりに考えています。
人間の誕生において、完璧に生まれてくる可能性というのはどれくらいあるものなのでしょうか? 自閉症が生まれつきの脳の機能障害ということであれば、もしかしたら人間は誰しもそうそうは完璧に生まれてくるのではなくどこか不完全であり、まぁここまでは一応正常=メインストリームだろうとくくられてはいるものの、そのメインストリームの中もスペクトラム的に考えられ、いろんな状態(ちょっとアスペ的等)の人もいるのではないでしょうか?

「常識」とは何なのでしょう。おそらく多数派の意見というだけです。世の中の決まり事が多数派の人達だけで考えられているだけで、少数派の意見が通らないだけの話なのではないでしょうか?
そう考えると、自閉症スペクトラムとのつき合い方は、変わってくると思います。多数派(メインストリーム)が少数派(自閉症スペクトラム)の意見を知らなかったり、例え知っていても「あいつら変な奴だから相手にしない」と思い込んでいては、世の中うまくいかないのではないでしょうか。そしてもしからしたら、そのメインストリームの中にもいろんな意見があるのではないでしょうか。
「自閉症の息子ダダくん11の不思議」の「違う☆(星)から来た息子」という言葉には、そう言った違う文化(異文化)を理解して欲しい、受け入れて欲しい、メインストリームの人達にそう考えて欲しいという想いが込められているのではないでしょうか。

確かにこの世の中である程度適応して生きていくためには、少数派=自閉症スペクトラムの方も適応できるところはしていく必要もあるのだと思います。しかし、多数派=メインストリームの人達も、意見、文化を押しつけるのではなく、少数派の意見、文化を理解し、お互いが歩み寄れる社会になるといいのだと思います。

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2006年5月 1日 (月)

違う☆から来た…

先週ネタ…、木~金の出張の際ちょっと空き時間があったので書店に入った。以前は書店に入るとパソコン関係か仕事のための専門書等の場所に行くことがほとんどだったのだが、最近はまず、特殊教育、障害教育関係の場所に行ってしまう。

うちにはもう既に20数冊、その関係の本があるのだが、書店毎に品揃えが違ったり、新刊が出ていておもしろそう(?)な本はつい買ってみたくなる。特に、自閉症のお子さんを持った親御さんが書いた本には興味がある。
結局、この出張中に7冊も購入してしまった。いつ読むのだろう? これでおそらくうちにはこの関係の本が30冊以上になったに違いない…。

その中の1冊…、
『自閉症の息子 ダダくん11の不思議』
奥平 綾子 著
小学館

帰途の間で読んでしまった(出張中でいけないことかなぁ? でも寝てればいっしょだよね)。バスを待つ間、バスの中で、1ページ1ページ読みながら涙していました。一緒に行った上司や他の方に感づかれやしないかと、それでも涙を拭いながら読みました。うちのTO君にもよく当てはまることばかりでした。
自閉症ダダくんのお母さんが書かれた本で、ダダくんを「違う☆(星)から来た息子」として11の自閉症の特徴を表現しています。そしてその「違う☆から来た息子」の水先案内人として「ハル@スポック船長」=お母さんが日々どのように対応してきたかや、どう思われたか、ダダくんとお友達とのやりとり等を記録したもの(HP)が綴られています。
その中に「自閉症」や「障害」といった言葉は出てきません。それは、あくまで「違う☆から来た…」、この地球という星に住む普通の人とは違うだけであって、そして、みんなそれぞれ違って当たり前ということを表現したかったのだと思います。

「ハル@スポック船長」さん、やさしい本を書いていただき、ありがとうございます。私達夫婦も力を合わせ、「ハル@スポック船長」さんのように、TO君と付き合っていけたらな、そしてTO君と出会う人に付き合ってもらえるようにしていけたらなと思いました。

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2006年4月 3日 (月)

TO君の不安

幼稚園入園を目の前にして、最近TO君の状態が良くない。すぐに機嫌が悪くなる。そのとばっちりを受けるのはいつも隣にいるKO君(かわいそうに…)。
機嫌の悪い原因は、もう保育所には行けなくなること、大好きな保育所のS先生と会えなくなること、そして新しい幼稚園での生活(新しい友達、新しい先生等など)に不安を抱いているのだろう。

「いつも同じが一番!」のTO君にとって、慣れ親しんだ保育所、S先生と離れるのはとても不安。特にS先生へのこだわりは強い。幼稚園の話題が出たり、ほかの時でも何かにつけて、「S先生と離れてさみしい」と訴えている。

3月31日、保育所最後の日、S先生に「幼稚園頑張ってね。帰りに保育所の前通ったら、先生に手ふってねぇ」と言われて少しだけ気を取り直していた。

私達も妻がここ数日、保育所のお迎えの後にそのまま幼稚園まで連れて行ったり、幼稚園への道順を写真に撮ってアルバムに入れ、幼稚園の生活(特に保育所と違うこと)を話しイメージさせるようにしている。
見通しのきかないTO君に少しでも安心してもらおう、幼稚園でパニックにならないようにと思ってやっている。

その隣でKO君は「幼稚園楽しいな!ルンルン」などと、自作らしい歌を口ずさんでいる。「あー、何でこんなに違うんだ!」とつい思ってしまう…。

ある本に(また、全部読んだら紹介しようと思う)、『「障害」か「個性」か』というくだりがある。そこに、『「障害」と「個性」という二つの二律背反のものとしてとらえること自体をやめましょう。子どもの特性はどの子のどんな特性も「障害」であり「個性」です。客観的に評価しそれに合わせた課題や支援を用意するとき、あなたはわが子の特性を「障害」としてとらえている。同時に彼の行動のほほえましさをいとおしく思いあるいはそのユニークさに感心するとき、あなたはその特性を生涯続くその子らしさ(「個性」)として味わっているのです。…』とある。
違って当たり前、一人一人、人は全く別の人間で、何もかも違うのだから…

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2006年3月21日 (火)

自らを恥じた本

昨日のblogで母への感謝の気持ちを書いたが、母へは言っておかないといけないことがまだある。

母が子離れできない理由の一つは、当たり前だけど、私をまだ自分の子供、息子としか見ていない。従順な従属者としてしか見ていないということだ。一人の大人の男、(妻からみて)夫、(子供達からみて)父親だということを、本当の意味で理解していない。私は母にとって、いつまでも、何でも話を聞き理解のある従順な僕(しもべ)なのである。

自分の息子のことも認めていないのだから、私の妻のことなどはもちろん認めているわけがない。よくある嫁姑の関係なのかもしれないが、私の母の場合、一見ものわかりの良い姑を演じているからタチが悪い。

ここで、母がしてきた妻への仕打ちを挙げ連ねても仕方がないので、書くのは止めにしようと思う。ただ、母には他人を認め、自分とは違う価値観を認め、他人の気持ちになって考えることができなければダメだということを言っておきたい。あなたがしようとしている人生の課題への挑戦も、おそらく、あなたの自己中心的な考え方だけでは、あなたのことを理解してくれる人も、あなたに付いてくる人もいずれいなくなると思う。くだらない本を読むより、その辺りのことを真剣に考えてみるべきだ。

この辺りが、以前blogで書いた「嫉み」の部分につながるのだと思う。自分の従順な僕(しもべ)を、私の妻にとられてしまった気持ちでいるのではないだろうか。

あと「プライド」の部分。これは医療従事者だったというプライド。母本人は気付いていないのだろうか。子供達の病気が発覚する度に、妻の方が先に見つけて病院へ連れて行っていた。妻が母に「これ何でしょう?」と尋ねても「何でもないんじゃない」ようなことを言っておいて、いざ病院で診断されると「あの時はよく見えなかった」と言い訳をする。TO君のこともそうだった。妻が「TO君は育てにくい、何かある」と訴えているのに「TO君の個性よ」と言っていた。しかし、病院で診断されると「TO君は笑わない子と思っていたのよ」「こだわりが強いと思ったのよ」と言い訳する。

このプライドは早く捨てた方がいいと思う。見ていて聞いていてあまりにも滑稽だから。それから、自分は子育てを(私達兄弟にとって)祖母に任せていたためか、今度は自分が子育てにしゃしゃり出たいようだ。自分が私達兄弟の子育てをしていないから、孫の世話をしたいのだろう。でも子育てへの参加が中途半端なのだ。結局、自己中心的な人だから、自分の都合の良い時に来て、無理矢理子育てに参加しようとする。妻が迷惑だと思う時に来て無理矢理何かしようとする。祖母は自らを犠牲にして私達兄弟を育ててくれたのだ。子育てへの参加の質が違う。それに私の妻は専業主婦だから、働いていた母が私達兄弟の子育てを祖母に任せていたそれとは状況が違うのだ。

双子の子供達を一番よく見ているのは妻なのだ。双子の子供達にとっての母親なのだ。「プライド」に関しても言えることだが、その母親(妻)に、母性という存在として、人生の先輩として、孫達の祖母として、元医療従事者として、「勝ちたい!」のかもしれないが、所詮無理な話なのだ。

まだまだ言い尽くせないことはあるが、この辺のことを母には理解して欲しい。

それで話が長くなったが、タイトルの「自らを恥じた本」の紹介。こう言っている私も、ちゃんと親離れができていなかった時、妻のことを本当に理解してやっていなかったと思う。この本を読んで自らを恥じ、妻が、私達親子(母と息子)の関係、妻と母との関係、双子の子育てに、本当に苦しんでいることに気付かされた。
本当に理解ある人は読む必要はないが、全ての人が読むと、もしかしたら少しでも周囲の人にやさしくなれるのではないだろうか。基本的には子育てをしている母親を取り巻くことではあるが、もちろん母親本人、夫、その両親(実・義、問わず)、親類、友人、職場の上司、同僚が読んで理解してもらえると、母親は少しでも救われると思う。文字の大きな本なのでそんなに時間はかからない。

『この子はこの子でいいんだ。私は私でいいんだ―これで、子どもの未来が輝く』
明橋 大二 著
1万年堂出版

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2006年3月19日 (日)

子離れ、親離れ

私達親子(母と息子)はつい最近まで、ちゃんと子離れ、親離れをしていなかったと思う。

うちは祖母(父方の母)、父、母、私、弟の5人家族だった。物心つく頃から、うちは父親が病気がちで時々家で臥せることがあり、母が外で働き生計を立てている。うちは経済的余裕はないのだと、あまりわがままを言わなかったと思う。もともと、弟が母のお腹にいる時から、「あなたはお兄ちゃんになるからね」と育てられた私は、お兄ちゃんの自覚が早くから芽生えたのか、ずっと「いい子」だったと思う。
また、母が外で働いていたので、私達兄弟はほとんど祖母に育てられた。祖母は昔の人だから躾には厳しかったが、長男第一主義的なところがあり、私は「いい子」であれば祖母はよく私を褒めてもくれた。
今更、父のことはあまり書きたくないが、元気な時は頭の良い人でもあったし、子供にはやさしい人だったのだろう。有り体に言えば子供心に尊敬もしていた。おそらく母がそう子供が思うように、父の情けないところを隠してきたのだろう。
うちは経済的には貧しいが、家族5人、幸せで普通の家庭なのだろうと思ってきた。

それが、私が中学3年の頃、母に関して本当の事実を知り、父の実際の姿を知ることになる(これらについてはblogでは公開できない)。私の父への尊敬心は一挙に憤りと化していく。そして、母に「離婚しなければ、俺が家を出ていく」、そう言って両親を離婚させた。高校1年の時、フラッと家に戻って居間でテレビを見ていた父に向かって、「何してるんだ! 出ていけ!」と追い出した。それ以来父には会っていない。「うちは普通の幸せな家庭」どころではなかった。ウソで塗り固められた家庭だったかもしれない。
この頃のうちはもう最悪の状態だった。いろんな電話や、家に来て母や祖母、私達兄弟にまで聞くに堪えないことを言う人もいた。
そんな中で、私は少しでも母に協力的でいなければならないと思い、母の苦労がわかるので反抗期もなく、私自身の正義感も手伝ってか、更に「いい子」だったと思う。

それはそれで仕方のないことでもあり、助け合う良い親子関係でもあったと思うのだが、どこかで、この母と息子は、お互いに子離れ、親離れをしなければならなかった。それが、私が愛する女性と結婚してもなお、母は息子を頼り、息子は母の言うことに多分に協力的過ぎた。
今、私に双子の子供が生まれ、子育てをする中で、やっと私自身は、母と親離れをしようと努力している。今度は母に、息子から子離れをしてもらう番だと思う。

とりあえず、このことについて本の紹介。私自身はこの本を読むまで、自分は充分親離れしている気でいた。ただ、薄々は?という気持ちも多少あったからこの本を読んだのだが、この本を読んで、親離れしていないことに気づき、やっと母の呪縛から解かれようとしている。タイトルは「息子」になっているが「娘」と読みかえても問題ないと思う。

『なぜ、母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか』
岩月 謙司著
講談社プラスアルファ新書

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